私が通っている(通う?笑)映画館では
「忍びの国」は今はまだ
終了未定で
一日三回上映しているのだけど
上映時間が変わって
朝 夕 夜に …
唯一行けていた午前の回が
無くなっちゃった… (;つД`)
淋しいな
もっともっと
映画館のスクリーンで
無門殿に会いたかったな
( p_q)
あとさ応援上映も近くで二ヶ所もやるのに
夜じゃん行けないじゃん昼だって行けないけど
まあいいやあははははは
行ける皆さん楽しく盛り上がってくださいね(*^^*)
でも いつ行っても
けっこう席は埋まっていたし
何より本当に老若男女が集っていて
嬉しかった
(*´ー`*)
このままロングランになりますように
あわよくば もう一度だけでも
観に行けますように(←欲張り)
…静かに熱望しています
TOHOさんに念を送る ( ̄ー+ ̄)
こんなに何度も繰り返し
同じ映画を観たことなんて
ありませんでした
そもそも洋画派だし
時代劇 戦闘系 流血系
全部苦手でした
なのに今「忍びの国」で頭がいっぱい
何度観ても
同じところで泣いて
その涙の意味が
どんどん変わって行く
観るたびに
気付くことがある
毎回 映画が終わっても
できるなら席を立ちたくないけれど
家に帰らなきゃならないから
無理矢理歩き出す
でも 現実に戻りきれなくて
ぼーっとしてる
私にとって
そんな映画って
今まであったかな
私はやはり
「忍びの国」の術中に
あるのだろうか
きっと
この術は
解かれることはない
(以下 映画の内容に
盛大に触れています (>_<)
避けたい方は飛ばしてくださいませ)
(アメ限やっていないので ごめんね~)
(*・∀・*)ノ
***
「忍びの国」は
いろいろなことを
問いかけてくる
奥が深ぁい作品だけれど
どの問いも 突き詰めれば
「人間とは?」
ということに
行きつくような気がします
その中で
「名前」も重要なテーマであると
思うのです
「我が名は 無門」
初めてフライヤーで
このキャッチを見たときと
映画を観たあとで
感じ方が全く変わりました
無門は最愛の人を
「お国どの 」
と名前で呼びます
でも他の誰のことも
対峙する場面の多い平兵衛でさえ
無門が
名前で呼ぶことはない
そんな無門が
平兵衛との「川」の後
伊勢の者たちの
名前を呼んだ
まるで
初めて「人」として認識したかの
ように…
無門には
名前とは何の意味があったのでしょう
もしかしたら
「無門」とは
彼にとって
「自分」では無かったのかもしれない
名前なんて
人と人を区別するための「記号」
のようなものだったのかも
しれない
さらに
もともと人への関心など無いから
他者を名前で呼ぶ必要は
無かったのかもしれない
けれど無門は
お国の名前を呼んだ
嬉しそうに
幸せそうに
それはたぶん
お国が無門にとって
唯一無二の
「人間」という存在だから
「我が名は 無門」
ここには
無門の内側に押し込められた
悲しみや空虚さが
隠されているのかも
知れないと
思うようになりました
でも
お国が「無門殿」と呼ぶとき
彼は
血の通った暖かい響きを
聴いていたのだと
思います
たとえ怒られても…
愛する人に名を呼ばれる
他の誰でもない自分を
それは無門にとって
至上の幸せだったのではないかと
私は思うのです




