75歳ドイツで聖書を学ぶ~平澤弥一郎博士
先日のラテン語の記事に頂いたO様のコメントで、ある本を知りました。「75歳ドイツで聖書を学ぶ」という本。平澤弥一郎博士という足の裏博士が、70歳にして聖書を学びにドイツに行くお話。博士の経歴は、私と同じように解剖学と生理学を学んだ医学博士。大学で教鞭をとり、40万人以上の足の裏の測定をされた研究者、そして聖書などの翻訳をされ「小使徒」という雑誌を発行していたのだそう。「きみ、聖書を読みなさい。字が読めるのにこれを読まないのは、自分の名前が書けない以上に恥ずかしいんだよ」え、、、なんと!そして、、平澤先生は、毎日聖書を読むようになったのだそう。世の中には偶然というものは存在しないと思うようになった。それは傀儡師(神)にあやつられながら生きる人生の確かさと、またそれが最も平安な道であることを知ったからだ、という。やがて師は、新約聖書をギリシャ語から訳せと命じ、旧約聖書をヘブライ語から訳せと命じ、ダンテの神曲をイタリア語から訳せと命じたそうなのです。毎月それを雑誌に載せよと、命令されたのだそう。愛とは命令である。(ヨハネ)先生は師の言葉をそう思って、28年も発行しつづけたのだそうです。奥様がなくなり、退官されて、日本のすべてのものを捨てて、ドイツで聖書を学ぶために神学部に留学したのだそうです。ドイツはプロテスタントのルターの故郷ですものね。そして、、、あちこちでの人との出会い。その中でも印象的だったのが95歳の老紳士とのバス停での勉強。3か月そうしたあとのある時、その老紳士が神学部に通っていたということがわかるのです。神の恵みといつくしみが必ずわたしを追いかけてくる(詩編)出会いはどんな人であろうと、まさに神が追いかけてきて、私に下さった「たまもの」であるということ、だとか。先生は、献体をドイツでされたらしく、奥様の遺灰をセーヌ川に流し、自らの献体後の遺体は海に散骨されるようにしたということで北海で一緒にあえるかも、、と。1998年発行の本で、先生は2002年に亡くなられたようでした。75歳ドイツで聖書を学ぶ/筑摩書房¥1,836Amazon.co.jp本の中に、死して生きる。(ヨハネ)全く意味がわからなかったけれど、次男さんが亡くなったときにわかったのだという記述がありました。私は同じ言葉を、姉が亡くなった時にこう理解しました。姉は亡くなってしまったけれど、書き残したものに魂が残っている。それが死しても、生きることだって。姉は最後は教会のオルガにストをしていましたが、死んでしまうことが判ってから何やら一所懸命書き始めて、残して行きました。日本の賛美歌・聖歌曲旋律INDEX旋律事典 (Vol.1)/燦葉出版社¥10,260Amazon.co.jp私は、宗教は持っていません。なので、宗教的なことは何一つとして知りません。しかし、、、恩師だったと思うのですけれど、言っていた事が今でも体に染みついています。私達科学者は、書き残すことで生きた証を遺す。書いて残さないとなりません。だから、、生きた証を、書いて後世に残さないと、と思うのです。そして、、、生きた証を書きのこした哲学者の本を読んで、その考えを、その魂を、受け継ぎたいとも思うです。そこは宗教とも似たところかもしれません。にほんブログ村にほんブログ村 人気ブログランキングへ人気ブログランキングへありがとうございます今日もいいことありますように