万物は他人のもの。時間だけが自分のもの
静かなところで週末は本を読み、考え事をして気分も一新(先日見つけた古い壁、この話はまた後日にあらためて)先週なんともやは悩み(?)というか思索というかあったのですが。 ★週末、哲学者たちの人生や残した業績を調べていて結論が出ました。ガレノスも若い頃から沢山の医学、薬学の論文を書いていました。後年、人生の半ばを過ぎてから、自然生命力などの、ある意味哲学的な内容に到達しているのです。薄っぺらな知識の集積ではないのです。理系や工学系はタダの技術かもしれないけれどその努力を集積すると、哲学が生れてくる。アナトリアに出来ては滅び、興っては滅びした文明を率いた政治家は沢山いたけれど、後世までその知識は残ってない。ヒポクラテスもガレノスもなぜその本が未だに残っているのか。それは、かれらの科学の根底には「こころざし」があったから。だから、、、後世になって宗教からの科学の弾圧にあっても、場所を変えて翻訳されて生き残って、今の時代にも本が読める。彼らの伝えたかったことを読むことができる。だから、決して理系出身であることを恥じることなんてないし逆にそれは強みである、普遍的な知識の集成は絶対である、と答えられる。2000年あるいはそれ以上、その「こころざし」が生き残って来たものこそ、本物でありヒポクラテスもガレノスも偉大な科学者であり思想家なのだと思う。今日の言葉はこれ。Omunia aliena sunt;tempus tantum nostrum est!ローマの哲学者セネカの言葉。全てのものは、自分のものではない、時間だけが自分のもの。という意味です。物質は自分のものではないのです。確かに死んだときには、灰すらも自分のものじゃないものね。得た経験のみ、使った時間のみが自分のものなのだそう。ごもっともです、セネカさま。ローマの哲人 セネカの言葉/岩波書店¥2,160Amazon.co.jp長文を読んで下さって誠にありがとうございます。にほんブログ村にほんブログ村 人気ブログランキングへ人気ブログランキングへありがとうございます今日もいいことありますように