リアルプレゼント 第10回 〜「気にしない」より「気にする」方がよい理由〜 | リアルプレゼント (悩みを生きる強さにするブログ)

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~究極コミュニケーション論~

リアルプレゼント 第10回


【いじめなどに絶対負けない知恵と技術】

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「リアルプレゼント」は、私たちの世界を変えるためのもの。


この究極のコミュニケーション力に通じた人は、世界を変えられる。


もうあなたはひとりではありませんし、例えひとりでも戦える!!


これからは、何をすれば良いか悩まなくて済むし、関わっても意味の無いいじめなどを苦にする時間もいらない。

そうなってもらうために、究極のコミュニケーション力を伝えたい。

これは、見せかけやきれいごとに終わる類ではなく本当にあなたを救う、現実の贈り物。


それが究極コミュニケーションを伝えるリアルプレゼントです。

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「気にしない」より「気にする」方がよい理由



こじらせる人や、情緒に混乱を起こして来る人がいると、自分に非がないのに辛く当たって来られて気が滅入る方も多く居られるかと思います。


こういう人が居る時には、どうしたらいいのでしょうか。


自分には関係がないのだから、「気にしない」ことが一番なのでしょうか。


答えは、それができるならそれでいいということになります。


しかし、こじらせ屋の本質は、かまってちゃんの情緒破綻版であって、こういう人は、自分がどうにもならないだけに、周りに居る人にとにかく思いつく限りの負担を掛けないと自分の気が済まないというタチの悪い性根を持っています。


ようは、「気にしない」とするあなたに、どうあっても気になるようにしてやろうとして、自分が怒られない程度になら何でもやってやろう、とする相手であることが考えられる。相手がかまってちゃんの場合、いったん目をつけられるとそういう関係になる可能性が高いということです。


もし、あなたに対して特に愛憎の念がないなら、単に距離を取ればいいぐらいの話しで終わるのでしょう。

問題は、そうでない場合です。


そもそも、私たちは、生きているのであって、気になることを気にするのは当たり前なのです。

言ってみれば、気になることを気にすることが、生きていることです。


それを、人が気になることをわざわざやっておいて、気にする方が間違っているなどという論法は、人間がまともであるなら受けつけられません。


しかし、仕事上の関わりでは、こういうことは残念ながら、しょっちゅう起こります。


そこでは、他人のやったことを気にするなんて仕事のことを考えてないからだとか、仕事に集中してないから気になるんだとか、仕事に関わらないことは「気にしない」ことが正しいかのように言われることが当たり前にあります。


確かに、仕事場である以上は、仕事を進める以外のことは考える必要がありません。


ところが、かまってちゃんの場合、ここにうまく入り込んで来ることがよくある。


仕事の縦割り的な言い分で、自分は仕事を進めたいと言っていただけなのにわかっていない、だとかの、すり替え的なことを言う人もいるのです。


こういう、あったことをひっくり返すようなことを言われたら、言われた方は気にしないではいられないでしょう。


自分の方こそ、仕事をちゃんと進めていたのに、なんだその言い分は、という感じ方にならざるを得ません。


それに、仕事場の上司には、そうした人間のタチの悪い部分にまで鋭いメスを入れられる人は、あまりいないのが現実です。

つまり、現場の上司では手に負えない。


かまってちゃんやこじらせ屋が、タチの悪い人であるほど、話しの流れは、対処し切れないということになりがちなのは現実だと思います。


ここでの問題で肝心なのは、問題行動は報告が必要ならちゃんと上司や管理者に報告を上げるとして、それに関わることになった私たちの気持ちの在り方です。


私たちは、気になることを前にして、気にしないで生きることはできません。


例えば、無力な赤ちゃんが目の前で泣きわめいていて、ほって置くことができるでしょうか。


この例を考えれば、気になることを気にすることがどれほど当たり前のことか、普通にわかる話だと思います。


ただ大の大人が、自分が気に入らないからとわぁわぁと喚き散らすマネをされるなら、迷惑行為だからやめて来れというのは、それこそ仕事の為です。


しかし、この程度の裏も取れないでひたすら事なかれ主義でキレイキレイに物事を包んで済ましてしまおうとする現実の中では、主張するのが当然のことも中々言えずに、むしろ幼稚園児の仲良しごっこを地で行くレベルの、やみくもな甘え合いとごまかし合いだけが幅を利かすようなことにもなってしまう。


こんな狂ったものを前にして、何も起こっていると思うな、というようなことを言い出すのなら、その相手や組織には何も期待しない方がいいのかもしれません。

ある場合には、見限る、ということも重要な選択肢の一つです。


気持ちの問題に戻ると、気になるものがある時に、それを気にするようになるのは当たり前のこと。

これを否定するのは、自分が生きているのを否定して掛かるほどムダのことです。


こんなムダで無意味のことは一切やめて、逆に、自分が自分として気にするべきことに気持ちを向けるのです。


すでに気になっていることを、その過去をどうにかしようとするのでなく、どうでもいいことはほって置いて、自分に立ち返って見えて来る、ホントに自分が気にすべきことを気にするのです。


ようは、これからの自分の未来を作るために、気にすることを思い通りにするのです。


かまってちゃんの、気にして!気にして!は、気にしてあげる必要はありません。


何が気になるかではなく、何を気にするかが問題だからです。


そして、本当に気にすべきことの答えは、他人ではなく、自分の人生の中にあるのです。