リアルプレゼント 第9回 〜自己顕示欲に対するには、受け取ること〜 | リアルプレゼント (悩みを生きる強さにするブログ)

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~究極コミュニケーション論~

リアルプレゼント 第9回


【いじめなどに絶対負けない知恵と技術】

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「リアルプレゼント」は、私たちの世界を変えるためのもの。


この究極のコミュニケーション力に通じた人は、世界を変えられる。


もうあなたはひとりではありませんし、例えひとりでも戦える!!


これからは、何をすれば良いか悩まなくて済むし、関わっても意味の無いいじめなどを苦にする時間もいらない。

そうなってもらうために、究極のコミュニケーション力を伝えたい。

これは、見せかけやきれいごとに終わる類ではなく本当にあなたを救う、現実の贈り物。


それが究極コミュニケーションを伝えるリアルプレゼントです。

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自己顕示欲に対するには、受け取ること



問題を起こして来る人や、こじらせ屋の類の人は、本当の協調関係がどうあるかは考えずに、自分に気にいることかどうかだけで物事を左右しようとしています。


そういう卑怯なやり口の為に、口先ではまともな態度と張り合って、自分の方が協調を取ろうとしている、とも平然と言える人たちです。


残念ながら、こういう人たちは、自分が気に入らなければ、誰を傷つけても構わないし、誰を踏みつけにして見せても、それが当然としか思わないのです。


でも、たいていこういう人たちは、自己欺瞞なので、自分のやっていることに気づかないし、自分の正体にも気づきません。


こうした自己欺瞞の壁は、この手の人たちにとっては、精神の死活問題だからです。

つまり、自分のやっていることを一番知りたくないのは、この悪さをやっている人たち自身でもあるということも言えるのです。


自分の気が済まないと言って、どんな悪さでもやりたい放題やろうとした者が、その実、自分のやっていることを知る勇気もないというのは、しょせん、いじめを含めた「こっそり悪さ」をやる人間の薄っぺらい実情を端的に表しているとも言えるでしょう。


でも、油断は禁物です。

彼らは、だからこその見せかけの強みや、見せかけに使える相手を抑えつけられる言い分を、普段からしっかり身につけられるようにしているのです。


しかし、ズルさ人間は、その本性は怠け者なので、見かけに騙されなければ、たいした言い分は持っていないものなのです。


わかりやすく言えば、最初の「ねこだまし」に気をつければ、後は簡単にボロが見えて来る程度のものが決まり切った結果です。


人間につけるウソの程度が、始めからたいしたことではないということもあるのでしょうが、正直に生きることの根のある強さに比べれば、何の為にわざわざしょうもないウソばかりつくようになるのだろう、と普通に思えますが、ウソをつく人たちの反応とは、まったく逆のものです。


何の為にわざわざしょうもないことを!と、それを単純に言い返して来るほど見せかけの立場や言い分に、べったりとしなだれ寄り添い切ったように自分を持たずに生きているのが、自己欺瞞で自己顕示欲の人たちです。


その自分を隠したままで、相手を単純呼ばわりもします。

どうやら、単純に自分に嫌なことは相手のせいにしてしまおうとたかをくくってしまっているようです。


この種の、自分を顧みる力のない、自己顕示欲のぶつけ方というのは、まさに相手などどうなってもいいという態度の見たくもない見本です。

自分さえ、危険に晒されず、あまつさえいい思いができさえすれば、そのためには何をやってもいいというのが、自己顕示欲に突き動かされる人たちの決まった心づもりなのです。


でも、それがバレたら困るというぐらいのことはわかるので、表面的には、相手のせいに聞こえることを言う。


先に言った、ねこだましに気をつけろというのは、こういう最果てのない理屈からすべてひっくり返した人のせいの並べ立ても含んでいます。

表面上、もっと理屈っぽいものもありますが、とにかく上から無理やりから抑え込んでしまおうとするために、この手のねこだましは必ず打って来ると思っていいでしょう。


彼らが、こういうねこだましが好きなのは、実は、自分がストレスに晒されることに耐えられないという実情もあるのです。


自分の正体も知らないで、中途半端にいい思いだけ手に入れようとしているからこうなるのです。


それが偽物で本当は通用しない理屈でも、一見、動かせない絶対の理屈であるかのように「見せられる」理屈で勝負して来る。


例え、自分の正体を知らなくても、あるいは、自分を知らないからこそ、自分の実情が悪い正体だとバレるのが怖い。

だからこそ、なおのこと見せかけの言い分に頼り、すがりつくしかないのです。


こういう人たちを見ていたら、隠して居ても、こうした実態が透けて見えて来るでしょう。でも、こうしたことが一番わからないのは、この状態にはまっている本人たちなのです。

本人を説得しようとしてもムダなことです。とてつもない欲望主義の特権待遇でも約束しなければ、なんの興味も示さないことでしょう。

もともと、身もふたもない欲望主義だからです。

いうまでもなく、だからいじめができるのです。


では、こういうものを相手にした時の対処法ですが、すでに見て来たように、彼らは一見したところは、まとを得て来たような正論的なことを言って来ます。

そして、そうである以上、いや例えそうでなくても、人の話に耳を貸さない態度は、それが誤解を招く態度であり、逆に、周囲の批判の目を自分に向けてしまうことにもなります。


また、いじめやこじらせ屋の人には、それを周囲から援助する人も居て、そういう人たちは、特に約束などしていなくても、ある種の習性のように自分たちの弁護のために、正しいことを言おうとしている人のあげ足を取ったり、あら探しをしたりします。


そうしたことも含めて、一番賢いのは、とにかく、相手の言い分は、いったんは「受け取る」ということです。


ここで注意すべきことは、受け取るということは、「受け入れる」ということとは違うということです。


それが正しいのなら、受け入れればいいとなるわけですが、それは相手の言い分を正しいものとして了承するということです。

しかし、受け取ることは違います。


受け取るということは、相手の言い分はちゃんと聞くが、正しいものとして了承するかどうかは保留するということです。


まだ、正しいかどうかもわからない段階なら、受け入れることを保留にするのは当然のことです。


それでも、強要して来たなら、「私には責任がある」と言って、突っぱねましょう。


そして現に、ことの信ぴょう性を一つ一つ吟味に入ればいいわけです。


と言っても、ねこだまし頼みの人たちは、その時の「かまし」でうまくいかなければ、たいてい次のことに興味を移してわけもなく流れていってしまうので、ことが重大なことでもなければ、いちいち本気で相手にし続けるのもムダな場合がほとんどです。


むしろ、わかり切っているのは、こういう関わってもムダな関わりを、とことんさっさと切り上げて、一切関わらないように舵を切り直すことにあるのです。


自分の信念もない連中は、しょせん、その場ばかりのねこだまし。


信念ある生き方は、生きる限り続く自分の航路のある道なのです。

当然、本当の強さは、そこに姿を見せるものなのです。