誰にしろ、自分の人生や生き方なら大切にしたい。
そんなことはわかり切っているはずなのに、人は、そのためにどうしていいかわからなかったり、逆に人と争いになるようなことをしたりする。
人は、自分のためと思うと、何をしてもいいと思ってしまうところがある。
自分本意の罠は、結局は、自分のクビを締めることにあるのです。
タチの悪くなった人は、自分から無用なケンカを売っていても気づかないかと思えば、責任を問われると必ず逃げを打つ。
一見、そつがないようでいても、小ズルさに気をはっているだけです。どれほど甘えていても、これだけはしないと生きられない。やっていることは、意地汚さにあぐらをかいた程度のものに過ぎないから、自分のやっていることには気づかないのです。
寝ぼけたようにいい加減な生き方をしているから、こうなることになる。
そんな生き方をしている人でも、いい思いはしたい。その意味では、必死で生きていると言える面がある。さらに、その意味では、いい加減に生きていないようにまで見える。
世の中、逆を見なければわからないことは確かにあるのです。
ただ、どんな人でも、自分の直面する人生では、自分のできる範囲で、自分の納得を得ようとしていることに違いはないと言えるのです。
それなら、自分のためにこそ、自分のことだけを考えてはいけません。
同じことをするのでも、社会の目から見た方が、自分の位置づけは共感を得やすくなる。
結局、それは自分の生きやすさです。
そして、自分本意だと、最初から高望みになるムリな自分の納得も、社会から見た自分の望みなら、楽に納得を得られるようになるし、自分から敵を作る必要もない。
自分の人生が大切なほど、繋がりに生きる自分を重要視すべきなのです。
逆ピラミッドは、気を抜いていても、自分のために生きられる。
それは、考えなくても社会の目で生きられるからです。