人間の能力は、自然に産まれ持ったものです。ですから、それは、ほっておいても自然に身につくところがある。
たとえるなら、ゴリラの体のようなものです。
ゴリラの立派な体は、何も自分で鍛え上げたものではありません。
ゴリラに産まれれば、自然にああなるのです。
決して、彼らは、腕立て伏せもしなければ、ダンベル一つ持ち上げたりもしません。
それでも、その体は筋骨隆々としているわけです。
人間の知能も、これと同じ。
勝手に頭脳が発達し、他の動物では手が出せないほどの知恵を持つ。それが人間の能力です。
そして、人間は知恵を使って、さらに自分の能力を鍛える。
知識を身につけ、自分の知能をより発揮させられるようにする。
それが、社会を作る動物としても理にかなっているからです。
このことがわからないと、ルールを守れず、自分のいいたいことばかり頭に浮かんで周りを巻き込んでしまう人間になる。
決めつけたいことは好きに決めつけられるが、本当のところはどうなっているのか知ろうともしない。
これは自分の功を焦っているだけです。
そのせいで、周りが見えていない。
自分のいいたいことだけでを何でも決めつけて見せるのは、インチキと同じです。
自分だけがいいならそれでいいという態度では、しょせん、繋がりも偽物どまりです。自分が偽物を越えられません。
そうなったら、自分が見透かされていても、わからない。
せいぜい、すり替えがうまくなるぐらいの頭しか持てないでしょう。
逆ピラミッドは、そういう個人の狭い主義主張を越えて行きます。わざと歪ませたものはインチキに過ぎない。
人のインチキは、社会のもとではすぐに見える。簡単にバラしてやることもできるのです。
何より、こういうくだらない問題より、もっと得るものが大きい本質的な問題へ、自分の時間や労力を割けるようにしていかなければ、まったく人生のムダです。
インチキなど、それに乗らなければ、「みっともない歪み」がそこにあるに過ぎない。そういうことがわかる人間になるべきです。みんながそうなれば、自然とインチキも消えて行く。
ムダにしない人生は、当たり前の生き方を引き込めるところにある。
逆に、インチキの好きな人間は、インチキと一体化しようとします。
しかし、インチキの力学など、周りにある力を頼って、ちょっと歪ませた小さな力に過ぎない。それでも、そういう力に頼る者は、それで得られるものの喜びで我を忘れてしまうものです。
人生をムダにしないために、逆ピラミッドで生きるのです。
ここには、生きれば生きるほどわかって来る自然のよさがある。
環境の繋がりを知って生きることほど、大きな生き方への道はありません。