信念を手放すワークをするときの効果的な方法

 最初に、ひとりで静かに過ごせる時間や場所を作ってください。効果的なのは、眠る前です。ベッドやソファの上でリラックスし、目を閉じて、瞑想のような状態になります。考えることをやめ、自分の手放したい信念について過去から浮かび上がってくることを観察してみてください。

 たとえば、「取るに足らない存在のように扱われる」という信念があるとします。その信念は大体、幼少時代にさかのぼることになります。取るに足らない存在のように扱われた、と思える出来事を思い出す必要があります。

 参考例としては、粗末な食べ物や着るものを与えられていた、虐待を受けていた、いつも罵られていた、というようなことです。

 なんらかの出来事を思い出して不快な気持ちになるのなら、そのときの傷や恐れや寂しさを、これまでに紹介してきたツールで感情を静め、癒しのワークをしてください。そして必要なアファメーションも繰り返してください。

 癒しが起きると、自然に息をつく、深い呼吸をする、体の緊張がとれる、なかにはあくびが出る、眠たくなる人もいると思います。これはすべて浄化作用です。浄化作用のあるスピリチュアルスポット(神社やお寺、山や海や川)などでも、人によっては起きる現象です。

 また、便意をもよおすこともあると思います。それは長年自分のなかでずっとたまっていたものが浄化されたので、起こるのです。

 癒しが起きたと感じたら、そのあと1分から5分でいいのでなにも考えずに、癒された穏やかな感覚(瞑想状態)に浸ってください。このあいだに「あなたは愛されている存在なのよ。大切にされて当然の存在なのよ、あなたはとても尊い、神聖な存在よ」といったアファメーションをしてもいいと思います。

 眠る前にこの一連のワークをすると、潜在意識にアファメーションの内容がすりこまれ、新しい信念が根づきやすくなります。

 ある信念が根づいている幼少時代の出来事に行きつき、癒しのワークをすると、ほかにも芋づる式に同じような出来事を思い出すと思います。あるひとつの信念は手放すまで、ずっと繰り返し同じような不快な状況を引き寄せてしまうからです。「自分は人や状況が変わっても、同じような出来事を繰り返し創造していたんだな」と気づき、驚くと思います。

 

 怒りがつつみ隠しているもの・パート3

 前回までは、わたし達は怒りを感じるとき、同時に傷ついている、そして寂しさも感じていることを解説しました。もうひとつ、わたし達がふだんなんらかの出来事によって怒りを感じるとき、同時に経験している感情があります。

 それは、恐れです。

 傷つくような出来事に遭遇するとき、人は愛を感じられず、恐れを抱きます。愛は人を安心させ、心を開かせますが、恐れは人を「攻撃されている」という 心理状態にし、心を閉ざさせます。攻撃されれば、自分を守らなければいけない、と思います。そして、傷や寂しさと同じように、恐れが大きければ大きいほど、怒りも大きなものになってしまいます。

 そうね、そういうことが起きると、されると恐い気持ちになるわよね。無理もないわ。だれだって、同じことを経験したら恐いもの。

 このように自分に声をかけると、感情を静めるのに一役買います。

 恐れを感じることは人間として弱い、ように思える人はそのとらわれを手放すことが大事です。そもそもすべての出来事にはなんの意味もありません。すべて人間が意味をあたえているのです。また、この世にどれほど精神的に強く見える人がいても、恐れを感じない人はひとりもいないと思います。もしまったく恐れを感じないというのであれば、ブッダやキリストのレベルであって、地球に学びに来る必要がありません。

 恐れにどう対処するか、どう乗り越えていくか、恐れをどのように正しい力に変えていくか、その方法を学びにわたし達は地球に生まれてきているのです。つまり、恐れがあることで、わたし達は成長することができる、ということです。

 なので恐れを感じることにたいして、自分を批難したり、叱ったりする必要はありません。もし、子供に恐れを抱くことを叱るのであれば、その子は「恐れることを、恐れる」ようになってしまいます。恐れも、人間でいることでしか経験することのできない、かけがえのない感情のひとつです。

 しかし、怒りを感じるときに、同時に経験している傷や寂しさや恐れというものは、もちろん人によって程度の違いがあると思います。同じ経験をしてもある人はそれほど反応しないのに、自分はどうしてこんなにも怒りを感じてしまうのだろう?と思うことがあると思います。

 とくに幼少時代、愛の感じられない家庭環境で育った人は大人になって怒りを感じる出来事に遭遇するとき、その怒りのなかにある傷、寂しさ、恐れも、愛に恵まれた家庭環境で育った人に比べると、大きくなってしまいます。古傷が疼く、という表現がありますが、まさにそれです。

 たとえば、言葉による暴力、身体的性的虐待などを繰り返された人は、自分を守らなければいけない、という感覚が強烈に根づいているので、大人になっても、ほんのちょっとした出来事で手に負えないぐらいの怒りを感じてしまいます。幼少時代の出来事による恐れが無意識に再現されているからです。

 なので、その場その場の怒りや傷や寂しさや恐れといった感情を静めるテクニックはもちろん必要ですが、やはり幼少時代に経験した深い傷、寂しさ、恐れを癒す必要があります。子供のころに起きたことが大人になった今の自分にどれほどの悪影響を及ぼしているか、理解することがとても大事です。

 あともうひとつ、人が人に恐れを抱かせることはできません。なんらかの言動が人に恐れを抱かせることはあるとしても、人が人を恐れさせることはできないのです。なので自分にとって恐れを感じさせる人物がいるとしたら、自分はその人を恐れているのではなく、その人の言動によって恐れを抱くのだ、と気づくことも大事です。
 髪を切る夢

 たまに美容院で髪の毛を切ってもらっている夢を見ます。わたしはしょっちゅう美容院に足を運ぶタイプではなく、長く伸びてきたらばっさりショートに切ってもらうという感じで、「切りたいな」と思うころは大体、長くて重くなった髪の毛をうっとうしく思っている状態です。そして、髪型も毎回おなじではなく、今回はこんなのにしてみたいという髪形にカットしてもらいます。

 なので、髪の毛を切るという夢を見たら、ちょっと最近日常がマンネリ化してきて、退屈な感じだから、ちょっと新しいものを取り入れたいとか、習慣を変えたいというときに見る夢かもしれません。

 また、守護天使やハイヤーセルフといった見えない存在がメッセージを伝えようとしているなら、「日常に変化をもたらしなさい」とか「新しいものにチャレンジしなさい」という意味かもしれないです。これはあくまで、個人個人の髪の毛を切るというイメージによって、夢の意味合いは変わってくると思います。たとえば、髪の毛を切る=さっぱりする!のイメージなら、人間関係や習慣について決断をし、さっぱりしましょう、という意味になったりします。

 もし、髪の毛を切ることが新しい自分に生まれ変わるようなイメージのある人は、人生の転機を伝えている。いつもはぜったいにしないような奇抜な髪型にするような夢だったら、「今までやらなかったことにチャレンジしてみなさい」とか。しかし、その髪型にして不愉快な気分であれば、「今は大きな変化を起こさないように」、逆に嬉しい気持ちでいるなら後押しされているのかもしれません。

 自分にとって髪の毛を切ることが、どういうイメージを連想させるのかを考えると、夢の解釈がしやすくなると思います。(夢の紐解きは夢占いではなく、スピリチュアルな分析と解釈です。なので、ひとりひとり、夢の解釈は異なります。)
 
 




 ツール・被害妄想を利用する

 前回は、クラクションを鳴らされたことで実際、どのように扱われたように感じたかを分析するというステップ、また捉え方を変えても現実は変わらないということを解説しました。

 たとえば、わたし達はふだん、クラクションを鳴らされたことで怒りを感じ、「取るに足らない存在のように扱われた、ように感じた」と、友人などに話せば「それは考えすぎだ。被害妄想だよ」と言われたりします。そこで本人もやはり自分は考えすぎで、被害妄想だと思い、払拭してしまいます。

 しかし、被害妄想は手放すべき信念を投影しています。言い換えれば、必要のない信念を手放すヒントになってくれるのです。

 そして、被害妄想の根源を解消しなければ、ほかの出来事で同じような被害妄想が顔を出しつづけるということになってしまいます。

 もし、「取るに足らない存在のように感じた」としたら、あなたはそのように感じる幼少時代を過ごした可能性があります。愛を感じられない家庭で育ち、自分なんて取るに足らない存在なんだ、と無意識に思うようになったのです。そのような信念が根づくと、その信念を投影する状況や、自分をそのように扱う人を繰り返し引き寄せてしまいます。

 あなたはそんなことをされていい存在ではないわ。(取るに足らない存在のように扱われていい人ではないわ。) そんなことをされていい人なんて、この世にはひとりもいないのよ。

 このように自分に声をかけてください。客観的な声がけには共感が強くこめられるので、癒しの効果が得られます。逆に、主観的な声がけは、説得になってしまいます。説得は、そうは思えない、という状態を前提にしているので、癒しの効果があまり得られません。

 取るに足らない存在のように扱われていい人なんて、この世にはひとりも存在しない、ということを自分に言ってあげることで、他者にどう扱われようと、自分が大切な存在であることに変わりはない、というアファメーションになります。

 たとえば、あなたは取るに足らない存在のように扱われていい人ではない、馬鹿にされていい存在ではない、見下ろされていい存在ではない…、このように声をかけることは、自分が他者から王様、女王様のように扱われるべきだ、と主張するように感じるかもしれません。

 しかしこれは、周りの人々があなたのことを奴隷のように扱ったとしても、あなたが尊く、神聖で、愛される存在であることに変わりはないという真実を自分に思い出させるためです。

 必要のない信念を手放すと、取るに足らない存在のように感じさせる出来事や人は目の前からなくなります。たとえもし、そのような出来事が起きたとしても、あなたは以前と同じようには反応しなくなるでしょう。具体的に言えば、同じような出来事を経験しても、取るに足らない存在のように扱われたと思わなくなるのです。ある信念がなくなれば、それを反映する思考がなくなるからです。
 
 図書館で迷子になる夢

 この1~2ヶ月のあいだ、図書館にいる夢を3回ほど見ました。わたしはよく夢を覚えているタイプなのですが、昨日も前回に訪れたのと同じ図書館でした。その図書館はまだできたばかりで新しく、明るくてきれいで、働いている職員の人たちのようすも鮮明に覚えています。

 図書館にいるというのは大体、「今は情報や知識を集める時期だよ」というメッセージになると思います。また、「実際に図書館に足を運びなさい」とか「本に携わりなさい、本を書きなさい」いう意味にもとれます。

 もし図書館のなかで迷子になっているとしたら、たくさんの情報にさらされて混乱している、どれを信用すればいいのかわからない、という意味になるかもしれません。そのときに、職員の人が助けてくれたら、「現実で助けてくれる人が現れるから安心しなさい」ということです。



 


 捉え方を変えても現実は変わらない

 今回は、出来事を投影している自分のなかの必要のない信念に気づき、手放すためのワークについて解説していきます。

 ではまず、クラクションを乱暴に鳴らされたことで、具体的になにをどう感じたかを分析することが重要です。

 たとえば、「取るに足らない存在のように扱われた」と感じたとすれば、それは自分のなかに「取るに足らない存在のように扱われる」という信念があるということです。

 このような信念がある人は、過去で、怒りを感じる出来事をできるかぎり振り返ってみてください。実際、「取るに足らない存在のように扱われたように感じた」という出来事が多いはずです。たとえば、ある飲食店に入って自分の接客を担当した店員の態度に腹が立ったり、友人が離れていったというときに、どのように感じたかを振り返ると、そういう捉え方があるはずです。(もちろん、手放すべき信念はひとつだけではないので、ほかにも「見下ろされた、いじめられた、嫌われた、馬鹿にされた」と複数の捉え方が出てくることが、多いかもしれません。)

 自分のなかの「取るに足らない存在のように扱われる」という信念を手放さなければ、その信念を投影する出来事はこれからも繰り返されてしまいます。言い換えれば、「取るに足らない存在のように扱われた」という捉え方を繰り返すことになるのです。というのも、信念が思考を作っているからです。

 つまり、「自分は取るに足らない存在のように扱われる」、という信念がさまざまな出来事で「取るに足らない存在のように扱われた!」と捉えるのです。

 よく、捉え方を変えれば、人生が変わるとたくさんの本に書かれています。たとえば、今回のクラクションの例でいえば、「もしかしたら相手は自分の危険を察知して、クラクションを鳴らしてくれたのかもしれない」とか、「もしかしたら、自分ではなくほかの車に鳴らしたのかもしれない」、という捉え方に変えるというものです。

 しかしこれはあくまで、もしかしたら?という設定であって、ほんとうのところは本人に聞いてみなければわかりません。

 また、最初に「取るに足らない存在のように扱われた!」というのは、自分のリアルな感情であって、それを「もしかしたら?」という設定でまぎらわしたり、ごまかしたり、なかったことにするのは、さらにストレスを生み出すことになります。これは言いかえれば、もしかしたら?という仮想現実のなかで、怒りを感じていないフリを続けるということになるのです。

 
 そして、そのときに沸き起こったほんとうの感情が否定されると、怒りや傷や寂しさは癒されずに放置されてしまうので、時間がたって思い出したときに自分でも戸惑うほどの怒りになっていたりします。いつもは穏やかで優しそうに見えていた人がある日とつぜん、文字通りキレる、爆発する、悲劇を起こすのはこのためだったりします。つまり、自分のリアルな感情を否定し続けるということは、まさに、自分を殺して生きているということなのです。

 なので、表面にある捉え方を変えるよりも、その捉え方を作り出している信念を手放すためのワークをすることがとても重要です。


 夢のなかでコインを拾ったら?


 江原さんの著書に、コインを拾う夢を見たら、チャンスが到来するというメッセージである、と書かれているのを読んだことがあります。


 なので、わたしのなかではコイン=チャンスというイメージが根づいたようで、チャンスが到来する前はコインを拾っている夢を見ます。守護天使やハイヤーセルフ、ほかにも見えない存在がそのようなメッセージを伝えるために、コインを見せるのでしょう。このイメージが根づいていない人は、自分にとってチャンスを象徴しているような夢を見ると思います。

 わたしが最近繰り返し見たのは、暗い場所で100円玉や500円玉を「あ、こっちにも、あっちにも」という感じで拾っている夢でした。

 たぶん、今は自分でもなにがどこに繋がっているかわからないかもしれないけど、チャンスを拾っているんだよ、ということだと思います。

 もしそばに人がいたり、直接手渡しでコインをもらったら、人を介してチャンスを手にするよ、という意味にもなると思います。

 エレベーターのなかで待っている夢

 以前にも、エレベーターにかんする夢について書きました。そのときは、急上昇、急降下についてです。今回は、また違う状況について。

 ただたんにエレベーターのなかにいて、目的の階に到着するのを待っている夢をみた場合は、なんらかの選択肢のなかでどれにしようか考えているという現在の状況が、そのような夢を表現したといえます。

 あるいは、守護天使やハイヤーセルフといった存在から、「今はすぐに決断せずに、すこし時間をかけなさい」というメッセージにもなると思います。

 自分がエレベーターの扉に向かって立っていて、開くのを待っていたら、準備ができている。逆に、扉に背を向けて立っていたら、まだ準備ができていない。もし、ほかにもだれか乗っていてなにかを言ってきたら、その言葉のなかにメッセージが含まれています。「ちょっと待って」だったら、決断するのをすこし待ちなさい、「急いで」は早く決断しなさい、「気をつけて」は慎重にというように。

 ちなみに、エレベーターのなかにほかにも人がいたら、その人たちも現実の世界で自分と同じような状況にいるということです。エレベーターにかぎらず、夢のなかで出会う人々は現在の自分の波長と似た波長を発している人たちです。

 人間関係のもうひとつの「鏡写し」

 人間関係はよく「鏡写し」だと説かれます。友人に嫉妬深い人がいて、それにたいして腹が立つとすれば、自分も実は嫉妬深いからだ、ということがたくさんの本に書かれています。(たくさんの本に書かれているので、このくだりはここまでにします。) しかし、人間関係でなにか問題が生じたとき、もうひとつの「鏡写し」と言える重要なポイントがあります。それは「新人がやめる原因になってしまう人」でも解説したように、

 お互い同じような恐れ(信念)を持っている

 ということです。前回までは、いつも居心地の悪くなる人と一緒になってしまう人、そして、そういう人がいつも新人を追い出してしまうベテラン社員のいるような部署に配属されてしまう、ということ。そして、関係を改善しようと躍起にならず、外側で起きていることは適度な処置をする以外あとは放っておき(流れにまかせる)、内側の恐れ(信念)を手放す作業をすることの大切さについて解説しました。

 関係を改善しようと躍起になるかわりに、自分がこうなったらいいな、と思うことを考え、音楽を聞いたり、絵を描いたりなどして気分の良くなることをすればいい、というのは引き寄せの法則についての本によく書かれていることです。

 しかし、毎日会社で家族といるよりもはるかに長い時間、週に5日間あるいはそれ以上、苦手な人と狭い空間で過ごさなければならないので、その人のことを考えないというのは一時的にはうまくいくかもしれませんが、長くは持ちません。

 また、上にあげたような改善策は、思考の段階だけで働きかけているので、現実は変わりません。その人のこと(問題)を考えないようにする、というのは、その人のこと(問題)を考えてしまうことが前提になっているからです。つまり、そのことを考えないようにするというのは、問題がありますと宣言しているのと同じことなのです。

 ではどうすればいいのか?というと、思考の奥にある信念(恐れ)を手放せば、苦手な人や問題のことを自然に考えなくなります。信念は思考のずっと奥にあるもので、信念が思考を操作しています。なので思考の段階で「楽しいことを考えるようにする」というワークをしても、現実が変わらないのはこのためです。

 いつも居心地が悪くなる人と一緒になってしまう、という人は、幼少時代に遡り、自分にとって居心地が悪かった人を思い出す必要があります。大体は、父親か母親、兄弟という存在に行き当たることになるでしょう。まずは、そのときに感じた怒り、傷、孤独を癒す必要があります。そして、もっと大事なのは、必要のない信念を手放すワークをすることです。



 夢のなかに悪霊が出てきたら

 夢のなかに未浄化霊や悪霊、あるいは自分をよく思っていない人物の生霊のような存在が出てくることはあります。たかが夢だと思っているかもしれませんが、あまりにリアルで、陰湿で暗い恐れが込みあげてきたら、実際それらは夢のなかに入りこんでいるのです。もちろん自分を守ってくれている守護霊やハイヤーセルフという高次元の世界の存在が夢に出てくることはありますが、彼らのような存在に畏怖の念が生じることはあっても、陰湿で暗い恐れが沸きおこることはありません。。

 人間は眠っているとき、体から抜け出して、エネルギー体(魂だけの存在になると言われている現象です)になります。この状態のときは、次元に関係なく世界を行き来することになります。なので未浄化霊や悪霊がふだんわんさかいる次元に飛び込んでしまったり、逆に高次元の世界に行ったりすることもあります。

 これはすべて、自分の状態次第で、精神状態がよくなく、いろいろとストレスが溜まっているときは、未浄化霊がいるような次元の低い世界に迷いこんでしまいます。そういった世界は陰湿でどろどろと暗い感じで、まったく気持ちよくありません。

 逆に、精神状態などがよく、愛に満ち足りた生活を送っている人はその波長に見合った、高次元の世界に行くことができます。そこは光の世界で、すがすがしく、あまりにも美しいマジカルな風景が広がっているので、夢のなかで感動して涙を流すこともあるぐらいです。

 眠っているときに、波長の低い霊に遭遇したくない、という人はある程度対処法があるので参考にしてみてください。

1.観葉植物、とくに生命力の強いサボテンといったものを枕元に置く。(植物は高い波長を出します。)
2.天然塩を部屋の隅、枕元に置く。
3.眠る前に(あるいは霊によって目が覚めたとき、手を叩いて大きな音を出す。そういった存在は大きな音 や、美しい音が嫌いです。)
4.日頃から部屋の換気、掃除をこまめにする。(厄払いになります。)
5.クリスタルを身につけて寝る。
6.歌を歌う、美しい音楽を流す。(好きな曲を鼻歌で歌うだけでも、邪気をはらうことができるし、また自分のなかの澱んだものを浄化する作用があります。美しい音楽であればあるほど、それは高次元の世界と   繋がっているので、未浄化霊や悪霊は嫌がります)
7.笑う(大きな音や美しい音楽と同じように、笑い声や、笑うときの波長は高いので効果的です。笑える番組  を録画しておき、邪気を払いたいときや、波長を上げたいときに見るというものおすすめ。)

 上にあげたような例は、あくまで応急処置のようなもので、一番大事なのはやっぱり自分の平均波長自体を上げることです。他者も自分も批難せず、すべての感情(憎しみや殺意までも)を受けいれてゆるす、無条件に愛すことが大事です。具体的にどうやって感情を受けいれ、無条件に愛すかという方法はこのブログのメインテーマとしてアップしているので、参考にしてみてください。