怒りがつつみ隠しているもの・パート3

 前回までは、わたし達は怒りを感じるとき、同時に傷ついている、そして寂しさも感じていることを解説しました。もうひとつ、わたし達がふだんなんらかの出来事によって怒りを感じるとき、同時に経験している感情があります。

 それは、恐れです。

 傷つくような出来事に遭遇するとき、人は愛を感じられず、恐れを抱きます。愛は人を安心させ、心を開かせますが、恐れは人を「攻撃されている」という 心理状態にし、心を閉ざさせます。攻撃されれば、自分を守らなければいけない、と思います。そして、傷や寂しさと同じように、恐れが大きければ大きいほど、怒りも大きなものになってしまいます。

 そうね、そういうことが起きると、されると恐い気持ちになるわよね。無理もないわ。だれだって、同じことを経験したら恐いもの。

 このように自分に声をかけると、感情を静めるのに一役買います。

 恐れを感じることは人間として弱い、ように思える人はそのとらわれを手放すことが大事です。そもそもすべての出来事にはなんの意味もありません。すべて人間が意味をあたえているのです。また、この世にどれほど精神的に強く見える人がいても、恐れを感じない人はひとりもいないと思います。もしまったく恐れを感じないというのであれば、ブッダやキリストのレベルであって、地球に学びに来る必要がありません。

 恐れにどう対処するか、どう乗り越えていくか、恐れをどのように正しい力に変えていくか、その方法を学びにわたし達は地球に生まれてきているのです。つまり、恐れがあることで、わたし達は成長することができる、ということです。

 なので恐れを感じることにたいして、自分を批難したり、叱ったりする必要はありません。もし、子供に恐れを抱くことを叱るのであれば、その子は「恐れることを、恐れる」ようになってしまいます。恐れも、人間でいることでしか経験することのできない、かけがえのない感情のひとつです。

 しかし、怒りを感じるときに、同時に経験している傷や寂しさや恐れというものは、もちろん人によって程度の違いがあると思います。同じ経験をしてもある人はそれほど反応しないのに、自分はどうしてこんなにも怒りを感じてしまうのだろう?と思うことがあると思います。

 とくに幼少時代、愛の感じられない家庭環境で育った人は大人になって怒りを感じる出来事に遭遇するとき、その怒りのなかにある傷、寂しさ、恐れも、愛に恵まれた家庭環境で育った人に比べると、大きくなってしまいます。古傷が疼く、という表現がありますが、まさにそれです。

 たとえば、言葉による暴力、身体的性的虐待などを繰り返された人は、自分を守らなければいけない、という感覚が強烈に根づいているので、大人になっても、ほんのちょっとした出来事で手に負えないぐらいの怒りを感じてしまいます。幼少時代の出来事による恐れが無意識に再現されているからです。

 なので、その場その場の怒りや傷や寂しさや恐れといった感情を静めるテクニックはもちろん必要ですが、やはり幼少時代に経験した深い傷、寂しさ、恐れを癒す必要があります。子供のころに起きたことが大人になった今の自分にどれほどの悪影響を及ぼしているか、理解することがとても大事です。

 あともうひとつ、人が人に恐れを抱かせることはできません。なんらかの言動が人に恐れを抱かせることはあるとしても、人が人を恐れさせることはできないのです。なので自分にとって恐れを感じさせる人物がいるとしたら、自分はその人を恐れているのではなく、その人の言動によって恐れを抱くのだ、と気づくことも大事です。