88の鍵盤の波間から、ふわりと零れる | 新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
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某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-MARCIAC  或る休日のこと。「じゃがりこ」を手にした女の子、幼稚園に通っているかどうかの可愛らしい子。その女の子に気になりだしたのも僕の大好物「じゃがりこ」のせいでもあったのだが、それ以上に神経を向けずにおれなかったのは女の子のその歩き、歩調にある。僕の歩調にどうも合わせているみたいなのだ。いや、どうも僕の歩調に挑んでいるのに違いない。

 いま歩いている一方通行の道幅はほんの5Mほどで、ジグザグに植え込みで仕切られた歩道が両脇にあり、車道というものは3M強。とはいえ左右に分かれた僕と女の子には、各々の息遣いさえ伝わりそうなほどの狭い道だ。女の子は明らかに僕と行く先を争っている気配だ。

 やがて僕の方もムキになっているのではと、自分自身訝しんでいる。一進一退、そんな遣り取りを女の子は楽しんでいるようでもある・・・なのに僕は、僕は、僕は負けるわけにはいかないと脚をそら大きく踏み出すのである。

 「ウフっ、あのオジちゃん私と競争してるんかなぁ。何か私を横目でチラホラ見ているような気がするけど気のせいなのかなぁ。ちょっと前に出て顔見てみようか、睨まれたらどうしよう」、そんな風に感じられた女の子のゴール地点は10M先にあるあの止まれ! の標識一点に視線が向けられているようだ。

 ふとその時思い出したのだ。その女の子と一緒に歩いていたお爺ちゃんは? というと、今にも溺れそうに目一杯藁でも掴むようにその女の子へ手を伸ばしているのだ。「#$@ちゃ~ん、待たんかいなぁ。急いだらこけるで~」のお爺ちゃんの叫びに呼応するかように女の子は歩道の段差につんのめっていた。きっと僕の位置を気にして脇見をしていたのだろう。思わず「あっ!」と声を発し、届くはずのない僕の手が伸びた先で女の子は辛うじて体勢を整えつつ満面の笑みで僕を見た。ほぼ同着と思われたこの戦い、前傾姿勢に勢いをつけた女の子に軍配が挙がったのは言うまでもない。女の子の笑顔は転ばずにすんだというより勝利したことによるものだろう。


 一般的にピアノの鍵盤は黒が36で白が52、合計88個で構成されている。数だけ見ると意外と黒の36個が多く感じられるのではないでしょうか。特に素人の方はそうお思いでしょう。それは単に黒鍵盤と白鍵盤の幅や長さの違いにも依るの。その鍵盤の波間に私が理想とする指の動きがある、ブラッド・メルドーの新作『LIVE IN MARCIAC』はDVD含む3枚組のソロ・ライブにてである。CDと同内容のDVDに収められた動くメルドー、その一挙一動に身動ぐこともできない自分がいた。

 ジャズのピアノ・ソロというとキース・ジャレットがすぐ浮かんでくるが、彼と根本的に違うのは実にヒューマンな感覚で弾いていること。だからこちらとて簡単に感情移入しやすく、堅苦しさなど微塵も感じさせない。曲目を見ただけでロックなファンにも訴えるべくニルヴァーナの<リチウム>、今や彼の十八番となったレディオヘッドの<エクジット・ミュージック>、そしてビートルズの<マーサ・マイ・ディア>まで出されると、もはやノー・ガードの僕が露になっている。してこの作品の中枢を担うはそれらでなく、またメルドーのオリジナルでもない。コール・ポーターやサミー・フェイン、リチャード・ロジャースの思慕の念に浸ったナンバーに酔うのである。

 なかでも特筆すべきは<シークレット・ラブ>。88の鍵盤で踊るメルドーの手から、ふわりと音が零れるのが見える。彼の手に掛かれば何でもない曲でも鉄壁の美学によってさらに輝きが増してくる。もとより曲の良さは認めざるを得ないが、曲そのものには古くならないセンスが宿っており、原題に違わぬ秘めた想いがより一層秘めやかなものとなって綴られてゆく。料理しやすいとされる<マイ・フェイバリット・シングス>は、バース部、そして第一小節から思わぬ柔軟さを見せ、終始やんわりと時を刻む。また予想外の見っけもんだったのが、ラストのボビー・ティモンズ作<ダット・デア>。抜き差しならぬ癖あるこの曲を、艶っぽくしてしまうのもメルドーの成せる業だ。

-NO.616-


★室生犀星記念館★

 猫を愛で、金沢の町に心を解き、そこに在る自然や居る人たちを愛した詩人、念願であった室生犀星の記念館へ訪れた。エントランスでいきなり目を奪われるであろう、壁いっぱいに飾られた彼の作品群に。記念にと一冊彼の詩集を手にした途端、ものすごい勢いでもっと好きになってしまったようだ。彼の作品には難しいとされるもの、じつに明解なもの、それぞれ愉しみ方は千差万別である。