僕にはひと回りほど離れた兄が二人いる。物心ついた僕が気がつけば兄は高校生。その兄の部屋に行こうものならオフクロや婆ちゃんに酷く叱られたものだ。決して兄は勉強などしている様子もなく、僕だけ子供であとの五人の家族は大人という認識と知ってはいけない世界がそこにはあるのだという興味だけが募った。
或る日離れにある兄の部屋に誰もいないのを機に侵入。両親は居たが商売上お店に詰めており接客中だった。
兄の部屋は二階、今思い起こすと急な階段で、四段目、お化けの手がにゅ~と伸びてきて足首を捕まれる。十三段目では西洋からの刺客ドラキュラが牙を光らせ見下ろしている。あと一段、登りつめた挙句ロボットが行く手を阻むらしい。が、数々の試練に耐え困難を乗り越えた先には初めて見る兄の部屋が二間あった。
ここはどうにも身内の家でなく余所の家に侵入したような罪悪感と、今にも下階から大勢の大人達が僕を捕らえるべく登ってくるのだろうかと心臓が高鳴っていた。その中には子供にとって恐ろしく怖い存在のお廻りさんも居る。
さてあまり長居はできない。奥へ足を踏み入れると見たこともない家具調のステレオが床の間を陣取っていた。後で知ったことだが、ターンテーブルの回転数を調節するダイアル表示には16、33、45、78とあった。特に16は何のためだったのか正規の試聴というものはやらず終いだ。ただ遊びで45回転のシングル盤を16回転で鳴らしてみた。また45回転を78回転で鳴らしてみたりもした。結果は皆さんも想像つくかと思うのでゾンビが低く唸る声やヘリウムガスを吸って出すアヒルのような声だったなんて書くつもりはない。!?って書いてしまいましたやん。
さあ家探しならぬ何枚かのレコードが目に留まったのが人生の分かれ道。もちろん聴いたこともなければ聴かせてもらったこともありません。これも後に分かったことですが、兄は二人揃ってビートルズよりもサイモン・アンド・ガーファンクルのファンだったということです。見つけ手にしたシングル・レコード“ミセス・ロビンソン”あの“卒業”の艶めかしいロビンソン夫人(アン・バンクロフト)の御脚、その奥にただ茫然と佇むベンジャミン(ダスティン・ホフマン)のジャケットは一生涯忘れられないものに。
行きはヨイヨイ帰りはコワイ、まさに急降下並みの階段は這いつくばってジリジリと降りてゆくのであった。その怖さに十三段目も四段目も忘れてしまっていた。僕の高所恐怖症はこの時の階段降りから備わっていたのだろうか、はたまたこの時を境になってしまったのだろうか。
数年後、僕が小学校四年生になり、あの離れの二階の二間を占領することになった。誇らしい気分と大人へのステップを感じたと同時に一人だだっ広い部屋で寝起きする怖さも知った。
兄が夏休みで帰省してきた時抱え持って帰ってきたのがポール・サイモンのセカンド・ソロ『THERE GOSE RHYMIN' SIMON(ひとりごと)』だった。当時この良さっていうのが分からず、ただ聞き流していたと思う。さらに時間を重ね改めて聴く<僕のコダクローム>はポール・サイモンがこだわったサウンド(音)の連鎖が聴かれ、<アメリカの歌>では腐敗したアメリカへの警鐘をさわやかなタッチで歌い紡いでいる。 ♪ぼくらはメイフラワー号という舟に乗って 月まで行ける舟に乗って 現代のもっともさだかならぬ時間に到達した そしてアメリカの曲を歌っている だけど いいのさ いいんだよ 昨日という日は無味乾燥な日に変わるだけだ ぼくは安らぎを手に入れようとしている ぼくが手に入れようとしているのは 安らぎだけなんだ というこの詩に乗せたメロディも一生涯忘れることのないものになったのは兄と聴いたあの夏の日にさかのぼる。
僕にとって音楽のルーツは二人の兄の影響によるところがとっても大きい。「お前っ! 何でそんな古い曲知ってんだ」と言われるのも仕方のないことです。
-NO.592-
★GIRASOLE(ジラソーレ)★
目黒川沿いにひっそり佇むシチリア陶器のお店で、ジョバンニ・デ・シモーネの作品が所狭しと並んでいます。一度この陽気なお皿や珈琲カップ、スープ皿を手に取ってしまったが最後でしょう。目も眩むような色と柄に目は釘づけ、足も動かなくなってしまいます。これは入口にあるお店の陶器製看板です。ちなみにタイル柄に紛れ込んだアルバム・ジャケット分かりますか?