1964年2月7日午後1時20分、ジョン・F・ケネディ空港に大英帝国よりビートルズが上陸。ブライアン・ウイルソンはその2日後、《エド・サリバン・ショー》でその光景を目の当たりにする。しかしだ。きっとその姿は静かで、何かを感じとっていたハズ。よってビートルズの来日で湧き上がる世間とは裏腹に、天才達による英米の戦いは静かに始まった。
多くの英国からのミュージシャンによるアメリカ本土上陸、いわゆる《ブリティッシュ・インベイジョン》はビートルズによって本格化。ブライアン率いるビーチ・ボーイズをはじめアメリカン・チャートの座を大きく明け渡すこととなる。奇跡的というかブライアンには危機感すらなく、ただ彼らより優れた作品を創ることに没頭するだけで、ビジネス的成功を収めようなどという気持ちはさらさらなかった。ビーチ・ボーイズは少しづつというより、時間的には急速にサウンドの変化が見られ、アルバム『トゥデイ』やこの『サマー・デイズ』でよりスピリチュアルな高みへと歩み出した感がする。
この『サマー・デイズ』を聴いてお分かりか、僕のベスト・トラックと推す「あの娘にキッス」、「ガール・ドント・テル・ミー」、「レット・ヒム・ラン・ワイルド」は、ビートルズ的エッセンスがいたるところで聴き取れることができよう。特にビートルズ・ファンとも言われたアル・ジャーディンやカール・ウイルソンの歌は、まさしくジョンらしいヘヴィに潰した喉を聞かせる。よりによって次作『ビーチ・ボーイズ・パーティー』では、3曲もビートルズ作品をカバーまでしているのだ。当時を鑑みれば納得のいかぬ所業だ。相手もどう思っているのか、その胸中が気になる。
この自信溢れた『サマー・デイズ』発表後、すぐさま僕にとってビートルズ最高傑作『ラバーソウル』(もう一枚あって、それは『アビー・ロード』)がお目見え、たいそうブライアンは衝撃を受けたようだ。フロー・チャート風に記すと、それに迎え討つは渾身の一作『ペット・サウンズ』。またこれ災いして生み出されたのがモンスター・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だ。それぞれのダメージは重ねるごとに計り知れないモノとなって行ったが、ブライアンの苦悩に満ちた表情は薄ら笑みさえ湛えていたのだ。幻となる『スマイル』は諦めの境地か正気の沙汰か。残骸として残った作品たちは、志半ばの形で『スマイリー・スマイル』などにはめ込まれた。この静かなる戦いは、1970年にビートルズ解散によってあっけなく終止符が打たれ終戦を迎える。
この『サマー・デイズ』はビーチ・ボーイズ作品のなかでもあまり表に出てこないが(名曲「カリフォルニア・ガールズ」だけは一人歩き)、ビートルズへの尊敬の念と闘争心がものの見事に表出した胸のすく作品。皮肉にも1970年代、ライブ・バンド ビーチ・ボーイズとして大英帝国において本国を凌ぐ人気を得て行く。ブライアンの最大の敵は実父のマリー・ウイルソンと、年に3枚のアルバムと4枚のシングルを契約内容とさせたキャピトル・レコード社だったのは言うまでもない。冒頭の「ニューヨークの娘」を聴くたびビーチ・ボーイズっていうことを忘れさせてくれ、この胸高鳴る鼓動は癖になるほど厄介だ。
-NO.496-
【PALE FACE】
泊まったホテルが《ロテル・ド・ロテル》。ホテルを出て豊水すすきの駅に向かう途中に見つけたお店。ショーウインドウには、ジーンズが背丈ほど積まれたディスプレイが一際目を引く。残念ながら店内へは入ったことがない。そもそもジーンズを履かない私なんで(笑)。