おはようございます。

今日は講義日。先週のコメントが、昨晩のうちに3件届いています。紹介します。

 

💎 おいしいもも のコメント

 

【質問1】 今日の前半は、「安楽死」について、論議しました。

① 話題提供 「安楽死をあなたは認めますか」 ② 1回目の各自の意見 ③バジルの議論参入「なぜ、日本では安楽死を認めていないのか」「もし認めたらどのようなことになるだろう」「なぜ、スイスでは認めているのか。そのバックボーンは何か」 ④2回目の各自の意見 などを踏まえ、どのような議論だったかをまとめてみましょう。そして最終的にあなたがどのように考えたか示してください。A41枚程度でまとめる力をつけましょう。

①    私の意見は最初は認めるであった。私の身うちの人でがんになってしまい、ずっと治療を続けていたが、ある日抗がん剤の治療を投与している中で、痛くてつらいと言っていた。その人は、「痛くてつらいので、もう抗がん剤をしたくない」と意識があるときに言っていたのを思い出した。それでもずっとなくなるまで抗がん剤の治療を続けていた。その体験を思い出し、痛みに優劣をつけるわけではないが、その痛みを我慢してまで生きていくことに意味を見出せない人が一定数いると思った。その人たちのために、痛みを感じることなく最期を迎える方法が安楽死という選択で、それがその人の幸せという考えであるなら、認めてもいいのではないかと思った。

②    8人中8人が安楽死を認めるという意見になった。

 その理由として、その中の一人の意見では、本人や家族の意思を尊重したいという意見であった。また二人目の意見では、女性のニュースを見て認めると考えた。また、精一杯生きた人の選択で安楽死を認めてもいいのではないか言う意見が出た。三人目の意見では、他の人と違った切り口での意見が出た。認めることであっても、整備を整えてから実施してほしいという意見と、実施するにあたって医師の心理的負担やメンタルケアを行っていかなければいけないという意見もあった。また、その人の意思を尊重していくことの大切さや、安楽死を無視すればその人の意思を無視していくことになるという意見が出た。また、生きることの価値や安楽死を認めていくことへの裏付けをとっていくことの重要さも意見として出た。

③    なぜ日本では安楽死を認めていないのかという議題に移った。多かった意見は、日本で認めてしまえば、多くの辛いと思っている人間が進んで安楽死を求めて病院に殺到してしまうのではないかということだ。対象が拡大してしまって命の価値が薄れていくと考えた。また、「スイスでは投げ認められているのか」という疑問が生まれた。スイスは、日本とは違いキリスト教であるためまず教えが違うというところから始まった。日本は仏教であり、死ぬと極楽浄土に行くため、修行をしなければいけないので長い道のりがある。一方、スイスは、キリスト教で死ぬと天国に行く。つらい修業はする必要がなく、幸せになれる。根本から考えが違うため、日本とスイスの安楽死への捉え方が違うことを学んだ。

④    私は、最終的には安楽死に反対という意見に落ち着いた。

 私がこの結論に至った大きな要因は、「命の価値」というところだ。命は何にも代えがたい大きなそして大切なものである。その命を自ら手放すことはどんなに治療が苦しくても、生きる価値が見えなくなったとしても、やはりあってはならないと思った。また、その人を支える家族や仲間のことを考えると、いくら本人が命を手放してもいいといっても、認めてはいけないと考えた。その人がいくら孤独に感じても周りは「死んでほしくない」と考えると思った。それ以前に、命の重さ、尊さを理解する必要があると思った。そういった意識があれば、安楽死という自ら命を手放す選択の可能性は少なくなるのではないかと思った。

また、最終的に意見は、8人中6人が認めるという意見になった。賛成側の意見として、その人の人権を尊重していきたいという意見や価値観というところ、などといった意見が出た。

【質問2】今日の授業の良かった点を2点、改善すればもっと良くなると思った点を1点書きましょう。

〇教科書に沿って進めていたのでどこを説明しているか分かりやすかった。

〇プリントの穴埋めをすることによって大事なところがわかりやすくなっていた。

△難しい単語もあったのでそこの補足をしていくといいのかなと思った。

【質問3】 「冷戦 →  冷戦終結  → 冷戦後の世界」に関係する次の事項を具体的に調べてみましょう。

①    鉄のカーテン

1946年、イギリス前首相チャーチルの演説の一節で、ソ連東欧圏を非難したことば。東西冷戦の深刻化を告げることとなった。

②    NATO

 

北大西洋条約機構。北大西洋条約機構は「集団防衛」、「危機管理」及び「協調的安全保障」の三つを中核的任務としており、加盟国の領土及び国民を防衛することが最大の責務。

③    ベトナム戦争

ベトナム戦争とは、アメリカと北ベトナムの間で1955年から1975年までの20年間行われた戦争。この戦争はアメリカが初めて負けた戦争。

④    ベルリンの壁

 

ベルリンの壁は、1961年から1989年までベルリン市内に存在した壁である。冷戦下でドイツは、東西陣営に西ドイツと東ドイツで分裂していたが、往来が自由であった西ベルリンと東ベルリンの境界線を経由して東側から西側への人口流出が続き、東ドイツに深刻な影響を及ぼした。東ドイツは自国の体制を守るべく、1961年8月13日、突如として東西ベルリン間の通行をすべて遮断し、西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離、のちにコンクリートの壁を作った。

⑤    WTO

 

WTO(世界貿易機関)は、ウルグアイ・ラウンド交渉の結果1994年に設立が合意され、1995年1月1日に設立された国際機関。WTO協定は、貿易に関連する様々な国際ルールを定めている。WTOはこうした協定の実施・運用を行うと同時に新たな貿易課題への取り組みを行い、多角的貿易体制の中核を担っている。

⑥マルタ会談

 

1989年12月、ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長の米ソ首脳がマルタ島で会談し、冷戦終結を宣言した。

⑥    アラブの春

 

チュニジア、モロッコ、シリア、リビア、エジプト、そしてバーレーンなどの中東・北アメリカ地域のイスラム教国家を巻き込んだ「民主化を求めた一連の運動」のこと。民主化の拡大と文化的な自由を求めて、一般民衆が主な原動力となった運動。2010年12月にチュニジアの露天商の青年が警察に抗議するため焼身自殺し、それがきっかけで大規模な運動が2011年春ごろに始まり、そのまま「アラブの春」と名前が付いた。

⑧ロシアのウクライナ侵攻

ウクライナ紛争の中でロシア連邦が2022年2月24日に開始したウクライナへの全面的な軍事侵攻である。

⑨イデオロギー

 

政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態。歴史的・社会的に全体として規定された考え方の型。

⑨ポピュリズム

 

ポピュリズムは、政治変革を目指す勢力が既成の権力構造やエリート層を批判し、広く国民に直接訴える政治スタイル。この思想は、一般市民の意見や利益を代弁し、優先することを主張する。ポピュリズムは、民衆の不満や願望を反映する一方で、分断を深めるリスクもはらんでいる。