💎 ねむい ほうえんそう のコメント

 

【質問1】 今日の前半は、「安楽死」について、論議しました。

① 話題提供 「安楽死をあなたは認めますか」 ② 1回目の各自の意見 ③バジルの議論参入「なぜ、日本では安楽死を認めていないのか」「もし認めたらどのようなことになるだろう」「なぜ、スイスでは認めているのか。そのバックボーンは何か」 ④2回目の各自の意見 などを踏まえ、どのような議論だったかをまとめてみましょう。そして最終的にあなたがどのように考えたか示してください。A41枚程度でまとめる力をつけましょう。

 私は、安楽死について賛成の意見を出しました。

 その理由としては、私が患者だったら苦しいから早く死んで楽になりたいというものがあります。また、私が患者の家族だったら、本当は生きていてほしいものの、本人の意見を尊重したいのと、私の幸せと患者の幸せが同じだとは限らず、患者が死を望むことがその人の幸せなら、否定できないのではないかと思ったからです。

他の受講者も、全員賛成でした。理由としては、本人の意思が大事、苦しんで生きている人が望んだら救われるのではないか、「死にたい」と言っている人の人権を侵害している、周りの意見も大事、というものがありました。また、認めても「生きることを頑張った人へのもの」として扱うべきという意見や、生きることや死ぬことへの価値を下げるようなことはあってはならない、という意見も出ました。

 

 「なぜ、日本では安楽死を認めていないのか」「もし認めたらどのようなことになるだろう」ということについて考えたことは、認めたとしたら安楽死を希望する人が殺到してしまうのではないかということです。それを防ぐために、業務中の医師以外が安楽死を勧めた場合は「自殺幇助」と同様の扱いをするのも一つの策なのではないかと思いました。また、その他認めていない理由として、医師の心理的負担が強いからという考えをしました。そのため、仮に認める場合は、医師のメンタルケアも法整備を行う必要があるのではないかと思いました。

 

「なぜ、スイスでは認めているのか。そのバックボーンは何か」ということについては、宗教、キリスト教の命の教えが関係していました。日本で信仰されている宗教の一つである仏教は、死後極楽浄土に苦労していくものの、スイスで信仰されているキリスト教では死後は召され、祝福され天国に行きます。そう考えると、苦労して生き抜くよりも、穏やかに最期を迎えるほうがいいのではないか、という考えになったのではないかと思いました。また、教育も関係しており、日本と違って学校でも命の大切さを教えているということもありました。

 それらを踏まえても、私の意見は賛成のまま、理由も変わりませんでした。

 しかしほかの受講生では、賛成派から反対派になった人もいました。その理由としては、スイスの事例を聞き、宗教的な側面も含め根本的な考えが日本と違うため、スイスで認めているからと言って日本で認めろというのは少し違うのではないかという意見や、医師の負担、最後の死に方として安楽死はよくない、生きていることのほうが大切、という意見が上がりました。また、賛成派では、もし認めるのなら法整備の他に教育や親になる人への心構えが大事、死にたい人のほかにも実行する人や周囲の人にも人権があるためその人たちのことも踏まえて考えるべき、まずは自殺者を減らすような取り組みが必要、小さいうちから命が大事であるという教育をすべき、といった意見が出てきました。

 

 最終的な私の意見としては、私は安楽死に賛成です。また、受講生の意見を聞き、本当に身体的な病気が末期の人が使うべきものであること、周囲の意見も大事にしなくてはならない、学校でも命の大切さを教えるべき、自殺者を減らす取り組みが必要であるという考えに至りました。

 

 私は以前、日本で安楽死が法整備された場合、いつかそれで死にたいと思っていました。しかし授業を通し、それは周囲の意見を尊重していないこと、まだ私は身体的な病気にはかかっていないことに気付きました。また、日本で法整備された場合、当初の私のような人は現れると思います。その際、身体的な苦痛を抱えて今すぐにでも死にたい人の横で身体に何もない自分が安楽死する、それは病気が末期の人の苦しい時間を引き延ばしているだけなのではないかと考えました。

 私はどちらかというと、私自身は長生きしなくてもいいと思っている人間です。日本で安楽死が合法となったら喜ぶでしょうし、多くの人が苦痛から解放されると思います。そしてかつては毎日のように希死念慮に捉われ、今すぐに死にたいと思ったこともありました。そのような人に「生きろ」と言ってもきっと届きません。かつての私がそうでした。

 しかし、だからこそ、学校で命の大切さを小さい頃から教え、自殺者を減らすための取り組みが学校や会社で当たり前のように行われている。そのような社会に生まれていれば、きっと私が希死念慮を抱えた時代はなかったでしょうし、いじめなども少ない世の中になっていたのではないでしょうか。

 そして、それでも避けられない病気になり、治療の施しようがなくなったとき。最後の救いとして安楽死があれば、穏やかに最後を迎えることができるのではないかと思います。

【質問2】今日の授業の良かった点を2点、改善すればもっと良くなると思った点を1点書きましょう。

〇スマホで調べる授業をしており、現在の学校教育に近い授業で新鮮だった。

〇プリントでポピュリズムについての説明が書かれており、教科書で説明されていない箇所もわかりやすくしていていいと思った。

△前半の部分が、もう少し生徒が考えて発言できる箇所が多くなればもっと良くなると思った。

【質問3】 「冷戦 →  冷戦終結  → 冷戦後の世界」に関係する次の事項を具体的に調べてみましょう。

①     鉄のカーテン

 1946年3月5日、イギリスの首相チャーチルがアメリカ合衆国ミズーリ州で演説した一節の「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが降ろされた」からきており、ソ連が東ヨーロッパ諸国の共産主義政権を統制し、西側の資本主義陣営と敵対している状況を批判的に表したもの。その後、ソ連=共産圏の排他的な姿勢を非難する言葉として多用されるようになる。その結果、この演説は冷たい戦争(東西冷戦)の幕開けを示す出来事と捉えられている。

②     NATO

北大西洋条約機構の略称。もともとはソ連に対抗するために作られた。「集団防衛」、「危機管理」及び「協調的安全保障」の三つを中核的任務としており、加盟国の領土及び国民を防衛することが最大の責務。

③     ベトナム戦争

アメリカとソ連の冷戦時に、代理戦争として起こったもの。1945年のポツダム宣言によって、北緯17度以北が中国の植民地(ベトナム民主共和国、北ベトナム)に、以南がフランスの植民地(ベトナム共和国、南ベトナム)になってしまった。その二国間で戦争をしていた際、アメリカが冷戦を背景に参戦した。アメリカは南ベトナム側につき、枯葉剤などが使われていた。

1973年1月、北ベトナム・南ベトナム臨時革命政府とアメリカのニクソン大統領との間でパリ和平協定が成立して米軍は撤退。75年4月の北ベトナムによるサイゴン(現在のホーチミン)陥落で戦争は終結した。

④     ベルリンの壁

冷戦下において、ドイツは東西に分かれていただけでなく、首都であったベルリンも分割されていた。その際、ソ連社会主義の東ドイツの経済が悪化していくのに対して、西ベルリンが属する資本主義の西ドイツの経済は成長を続け、市民の生活も格段に豊かになっていった。当初は東西ベルリンの行き来は自由だったため、東ベルリンから西ベルリンへ亡命する人は増えていった。東ドイツはそれに危機を感じ、東西ベルリンを分けるための壁を一夜にして作り上げた。

その後長きにわたり分断されていたが、近隣諸国を経由して西ベルリンに亡命する人たちが増えていき、残った人々もデモを起こすようになり、東ドイツは抑え込めなくなっていった。そして1989年11月、東ドイツの政府幹部が記者会見で「条件なしで東から西への出国を許可する」といった趣旨の発表を行った。これを聞いたベルリン市民が国境の検問所に殺到し、検問所は開かれベルリンの壁は崩壊した。

その翌年10月に、東西ドイツは統一された。

⑤     WTO

 世界貿易機関の略称。第二次世界大戦後に締結されたGATTの自由・無差別・多角主義を引き継ぎ、貿易の拡大による世界経済の発展を基本理念として、自由貿易を推進することを目的としている。また、紛争を処理する手続きも整備されている。

⑥     マルタ会談

1989年、アメリカとソ連の首相が会談し、冷戦の終結を宣言したもの。

そのほかにも、東西諸国の革命の動きや、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツの統一についても話されていた。

⑦     アラブの春

2010年から11年にかけて中東・北アフリカ地域で広がった民主化運動。2010年12月にチュニジアの青年が警察に対抗するために焼身自殺し、それがきっかけで2011年の春に大規模な運動が始まった。

⑧ロシアのウクライナ侵攻

ロシアが2022年2月24日に開始したウクライナへの軍事侵攻。その理由としては、

・ウクライナがNATOに加盟するのを阻止するため

・アメリカの影響を強く受けたウクライナの指導層が、ロシア系住民を抑圧しているため、ロシアは国家として彼らを保護しなければならないと考えているから 

などの理由がある。

⑧     イデオロギー

・政治・道徳・哲学・芸術・宗教などにおいて、社会的立場や歴史的立場に制約された考え方。観念形態。

・特に、政治や社会思想における思想の傾向。

⑨     ポピュリズム

民衆が既存体制の打破や知識人などエリートによる政治を批判する政治運動のこと。多くの場合、既成政党や移民・難民などの敵を作ることで、国民の怒りの感情を煽って支持を拡大するとともに、敵との分断をはかる。

【教員採用試験事前対策問題】