春らしくなりましたね。

 昨年8月に、毎日新聞を読んでいて、思い立ち書き上げたて応募した作品が、優秀賞に選ばれたのは秋のこと。師走に東京で表彰式があり、春には「本になるよ」と言われていました。

 その本が、今日、手元に届きました。

 自分の書いた文章が、プロの編集者によって写真とともにまとめられ、冊子になったことがまず嬉しいですね。高校教員時代に「クラス文集」「修学旅行紀」などをまとめた時も嬉しかったですが、今回は、また格別です。

 今日は、その受賞作品をご覧いただきましょう。

 

優秀賞

  バジルで広がる「すまいるライフ」

          宮城県登米市 鈴木 悟(69)

                        すずき さとる

                 1954年、宮城県登米市生まれ。県立高校の社会科教諭や古川高校長を経て、定年後の2017

                 年よりバジル作りをはじめる。さとるバジル農園(http://satorubasil.com)では、教え子

                 らと食材や商品の開発を進める。電気工事会社社長・宮城学院女子大非常勤講師の顔も持

                 つ。

 

💛はじめに

 みちのく 北上川のほとりにある宮城県登米市中田町のちいさな畑。農家の長男に生まれながら、教員の道を歩んで定年を迎えたさとるが、バジルの種をまいたのは6年前。
 きっかけは、イタリア料理店シェフの「美味しいバジルつくってよ」の一言。いまだ田畑を現役でまもる父(94歳)の畑をお借りし、一粒の種からせっせと育てたバジルをシェフにあげました。朝摘んだバジルが、その日のディナーに登場するというのでお店へ。お客さんが美味しそうに食べています。シェフも満足そう。もちろん私も。

「あっ、畑のバジルが、幸せを呼ぶんだ。これだ!」幸せを呼ぶバジル。みちのくの小さなバジル園のまわりで起こっている、ささやかな出来事をお知らせします。

 

💛1 バジルとの出会い

そのイタリア料理店は、ノリ君とユリさん夫妻のお店です。ノリ君がシェフで、ユリさんが接客をする人気店です。この二人、実は私の担任の生徒。高校卒業後、2人とも上京し、苦節10年。仙台でイタリア料理店を開業。結婚式も上げずに店を切り盛りしていました。そこへ、クラスメイトのヒロさんが「さとる先生、2人の結婚式の神父になって!結婚式を3年1組でやってあげよう」と言い出しました。小さなお店に、クラスメイトが思いがけなく沢山集まり、それはそれは素敵な結婚式になったのです。

結婚披露宴という名の飲み会になった時、新郎は言ったのです。「先生、美味しいバジルつくってよ。先生んち、農家でしょ」「よし!任せておけ」それが、バジルをつくるきっかけです。

 

💛2 父と育てるバジル

 小さな農家の長男に生まれ、農家を継ぐように仕向けられて育った私は農業が嫌いでした。家族みんなが朝から晩までの農作業をしても、やっとの生活。いつ終わるともしれない単純作業に嫌気がさし、逃げ出したことも少なくありませんでした。だから、農家の長男でありながら教員になり、定年を迎えたのです。そんな私が、酒の勢いとはいえ、バジルをつくることになりました。

思い切って、父に相談。無口な父がバジル用に畑を分けてくれました。トラクターで掘り起こし、豆トラで整地し、肥料をまいて、「さあ、植えろよ」とニコニコしています。そこに、私は、近くの種苗店から種を買ってきてポットで苗を育て、苗を植え朝晩水をやるだけです。そうすると、育つんですね。そんなバカ息子を親父は笑ってみています。

 

💛3 バジル物語の始まり

 3月にバジルの種を蒔きます。(数え切れませんが)約2,000粒ぐらいの種を400のポットへ蒔き、苗を育てます。4月、ハウスに4列、露地に8列ずつ400株植えます。5月末から摘むことができます。その時期から8月まで大量にできるバジル。水と太陽と土と「愛」でバジルは育ちます。

 しかし摘み取ると、とても繊細で、水に弱く熱にも弱く、保存の難しいのがバジルです。それでありながら、何とも言えない香しさ。ビザに乗せれば、10倍の価値が出そうな存在感。ジェノベーゼにしてパスタにしてもよし、スーパーで買おうとすると「数枚で◯〇円」という高価野菜。

摘み取ったバジルは、毎週、あのイタリア料理店に届けます。野菜保存用の箱一杯に摘んだバジルを午前中に届けます。しかし、余る余る。余ったバジルをどうするか、これから「一粒のバジルから始まる物語」がはじまります。

 

💛4 すまいるバジル誕生

 2011年3月11日、東日本大震災がありました。私の住む登米市は、甚大な被害のあった南三陸町に隣接しています。私は、南三陸町にある宮城県志津川高校の社会科教員を10年間していたことがあります。その縁で、当時の教え子たちを中心に南三陸SAP(スマイルアゲインプロジェクト)というボランティア団体を立ち上げ、保育所や災害復興住宅などで交流をしてきました。2023年3月まで12年間、500名を越える支援者のおかげで、春「夏冬の交流会ができました。

 夏、バジルを一人一人の子ども分袋詰めして町内全ての保育所を回りました。「ハイ・チーズ」が「ハイ・バジル」での写真撮影。笑顔笑顔。このバジルを「すまいるバジル」と名付けることにしました。その後、園長さんたちとバジル水で乾杯。「何か、バジルだと特別な感じになりますね」と園長さん。バジルの不思議な魅力に気づきました。

💛5 バジル倶楽部へ

「すまいるバジルを広めませんか」と話してくれたのは岩ケ崎高校の教え子のダイちゃん。ダイちゃんは栗原市の地域おこし隊になって仙台から戻ってきたばかりです。SNSの時代。「さとるバジル倶楽部」のホームページをつくってくれました。

私は、FBやメッセンジャーで「朝摘んだ、無農薬の新鮮・さとるバジルを、翌日クール便でお届けしますよ」と伝えました。南三陸SAPの支援者が好意的に反応して下さり「さとる農園バジル倶楽部」ができました。目の前のバジルが、かけがえのない人のもとに届けられ、食卓に乗る。この見える関係。朝晩、バジルに水をやる気持ちを奮い立たせるのです。

 

6 バジル先生~おわりに代えて~

 6年前から、仙台の女子大学で教職の授業をもつことになりました。最初授業。私は、バジルで、出会いのシーンを整えます。A4の紙に「バジル」と書いて、朝5時にバジルに水をまいてから大学に来たんだと語ります。バジルを育てる上で、間引きが欠かせません。泣く泣く間引きしながら一株のバジルに育て上げる植物と、ひとりひとりの生徒を大切に育て、だれひとり落ちこぼさない教育の違いを語ります。

 学生にも思い思いの「野菜名」「果物名」を付けさせ、何故選んだかを交えて自己紹介をしてもらいます。その後の授業では、「野菜名」が呼び名になります。「ブロッコリー、そこ、どう思う?」「さつまいも、あなたは?」話が弾むのです。そして、いつしか私は「バジル先生」となったのです。

 そして、今、バジルはパティシエ・ノブくん(岩ケ崎高校の教え子)の手で、「すまいるジェノベーゼ」として製品化されようとしています。その報告は2024年度ですね。

 

💎(バジル)

 久しぶりに読み返しました。

 バジルを購入して下さった皆さんとも共有したいと思っています。

 「スマイルライフ」の向こうには、「わくわくの会」による世界が広がっています。何が起こるか分からないことに挑戦していきたいですね。

 毎日がワクワクドキドキの人生でありますように・・・。