社員が、どんどん帰ってきます。

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 初任地のあと、私は宮城県志津川高校へ。

 当時担任だった生徒が、東日本大震災で被災し、家族で大崎へ避難してきました。その家族が、2011年5月、古川高校吹奏楽部の演奏会に来たのです。その生徒からの「賛辞」

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 こんばんは ご無沙汰しております!校長先生がご退職されるのですね 信じられません
私は自分に元気がない時、先生の言葉を思い出して頑張っていました!そして震災後、校長先生と再会できた奇跡に感謝の気持ちを忘れず生活しております。娘が今年も高校受験です 親子で頑張ります。

【以下寄稿文です】

 再会の実現は平成23年5月22日美里町文化会館に行って配られたパンフレットを見てからでした。
表紙は『東日本大震災復興支援チャリティコンサート』と書かれページをめくると「宮城県古川高等学校校長 鈴木悟」と記載されており顔写真がなかったので(恩師の悟先生?まさか?鈴木悟先生と同姓同名の方?)半信半疑でした。ホールにいた案内係に古川高校の校長先生は以前志津川高校で先生をされていた方?と問いましたが「わかりません。」と返答されたので、開演し姿を見れば答えがわかると思い会場内で演奏が始まるのをワクワク(*∩∀∩*)♪しながら待っていたことが最近の出来事のようです。
 私は東日本大震災で被災しました。避難所で『古川高等学校チャリティコンサート』のポスターを見た子供から是非行きたいと言われ美里町文化会館を探し私は車のハンドルを握りました。その時は鈴木校長先生と再会できるなんて少しも思っていませんでした。開演後、曲の合間に舞台上で校長先生が挨拶されている姿を拝見し志津川高校時代の思い出に浸りました。再会が叶ったことに感動しました。
高校卒業後、再び恩師に会えたチャリティコンサートが終わり、校長先生が昔と変わらない優しい口調で話かけてくださり懷かしさを感じました。古川高校吹奏楽部の演奏の素晴らしさに感動し、再会の嬉しさで涙がポロポロ出ました。
 私の高校時代は家庭環境が悪かったけど学校では先生の授業が楽しく、いつも和やかな雰囲気だったことを思い出します。特に教科書の内容ばかりではなく地図を使い早く地名をあてるゲームを取り入れる校長先生の社会の授業は暗記が苦手な私も集中して取り組んでいました。
 しかし楽しいことばかりではなかった高校生活でした。。高校1年生の担任をしていただいた時、生きることの意味を見つられず人生に悩み苦しんでいた劣等生の私ですが、そばにいてくれたのは鈴木校長先生でした。
 高校卒業後、担任だった鈴木校長先生をいつも困らせていたのを思い出しては自責の念に駆られておりました。私は、たくさんの迷惑をかけ志津川高校を卒業後、結婚し子供を授かり子育てしながら悟先生にお詫びの言葉もなく疎遠になってしまったことを深く反省し後悔と心の中の蟠りを常に持っていたので再会できた時は心から嬉しかったです。本当にありがとうございました。m(_ _)m
 校長先生が『南三陸スマイルアゲインプロジェクト』代表として多くの被災した子供達に愛情を注ぎ活動されていることに尊敬しております。僅かですが今後も寄付をしていきたいと思っています。
 私は心が弱いらしく時々元気がなくなることがありますが古川高校のホームページを見ては季節を感じ生徒の頑張っている姿に励ましてもらっていました。校長先生がご退職されるのがとてもとても残念です。我が家も震災後の生活拠点が決まり一歩ずつ、ゆっくりですが前に進みつつあります。
今日で震災後3年11ヶ月になります。微力ながら震災の復興に携わり、ともに明るい未来になるよう体調をみながら参加させていただきたいと思っております。
 鈴木校長先生のご退職は寂しいですが、これからも私の心の支えです。
校長先生には教え子として一番苦労させてしまいましたがご指導とたくさんの励ましの言葉に感謝致します。教員生活、長い間お疲れ様でした。これからも益々お元気で今後のご活躍をお祈りいたします。
  追伸 高校受験の子供がおり、また私の仕事が3月末までの予定のため落ち着かない日々を過ごしております。中学生の桜(受験合格)が咲いたらご報告がてら古川高校に伺えればと考えております。

 

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 今も、時折「開口だったので、アワビ持ってきたよ」と、時折顔を出してくれますね。感謝。