映画音楽の理想的なミックス(その1) | PENGUIN LESSON

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「最近の映画音楽でミックスの参照曲になる作品を教えてください」という質問を、最近レッスンや授業やツイッターで立て続けにいただきました。それぞれ質問された方によって意図は少しずつ違うのでしょうけど、私はこの「最近の」を「生のオーケストラと打ち込みによる要素(ドラムループやシンセパートなど)の混合によるスタイル」と解釈しました。

私は同じ「オーケストラの演奏による音楽」であっても、クラシック音楽の録音と映画やテレビのために書かれた音楽の録音では、理想とされる音は全然違うものだと思っています。クラシック音楽はコンサートホールでライブで演奏するために書かれた音楽で、録音もどのような味付けをするにせよホールでの自然なバランスや響きからスタートすべきものです。一方、映画音楽は録音のためだけに用途を限定して書かれた音楽であり、ライブで演奏することを想定していません。当然コンサートと録音では理想的なオーケストレーションの形も異なるはずで、そのことを誰よりも的確に理解し、録音のためのオーケストラ音楽のひとつの完成型を示したのが次回紹介するJerry Goldsmithだと思っています。

映画音楽のミックスと言っても、作曲家やエンジニアによって全く音作りが異なります。中には敢えてクラシック音楽に近い音作りを目指す人もいて、何が正解と決まっているわけではもちろんありません。

私が理想とするミックスの条件は次の2つです。私は酷い曲や酷い演奏が素晴らしいミックスによって良い曲や良い演奏になるとは思っていません。だから良いミックスをするためには、まず楽曲自体が録音音楽の特徴をきちんと理解し、録音に適した書かれ方をしていなければなりません。「ミックスがどうもうまくいかないんだよね」と相談を受けるとき、編曲や演奏に問題があると感じることがよくあります。しかし素晴らしい楽曲と演奏も、酷いミックスによって台なしになることはよくありますから、ミックスが非常に大切なのは言うまでもありません。

1. オーケストレーションの間違いをミックスで正さない。

例えば分厚い伴奏の中で最低音域のフルートに不用意にソロを書いて、フルートの音が埋もれてしまって全く聞こえないので音量フェーダーをぐっと持ち上げるのは、個人的には気持ち悪いです。本来は編曲の時にしっかりバランスを取っておくべきことをミックスで補うべきではないと考えるのは編曲家の意地かもしれません。

もちろん、はじめからアンプを使うことを想定したパートなど、ずっと一定量の音量を上げっぱなしだったら不快に感じることはありません。一度マイクのセッティングの時に各楽器のバランスを決めた後は、音量フェーダーには極力触るべきではないと思っています。どこか問題のある箇所に遭遇した時には、演奏の側でもっと強く演奏するように指示したり、例えば1オクターブ上げたり他の楽器も一緒に演奏するなど編曲に手を入れたり、またはそれ以外の楽器を弱く演奏したりお休みにするべきだと思います。

Hans Zimmerの音楽が主流になった今、「金管」「弦」「木管」「打楽器」とセクションごとに録音することも多くなってきましたが、私はオーケストラ全体を一緒に録音する仕事を好みますし、そのように録音された音が好きです。ただセクションごとに分けて録音するやり方でも、John Powellのように私にとっての理想的なサウンドとバランスを作る作曲家もいますので、方法論ではなくチーム全体が同じビジョンを持っているかどうかなのでしょう。

私のことのような立場に強く反対する音楽仲間もいます。「録音のために書かれた音楽なのだから、ライブでホールではできないバランスや組み合わせを追求して何が悪い」と主張します。その意見ももっともだと思っています。ただ未だかつてミックスによってオーケストレーションのバランスを調整した作品で説得力のある表現を聴いたことがないのです。端的に言えば不自然なんです。

強弱と音量が別物であることは、複数のベロシティレイヤーが用意された音源を使っている方なら誰もが経験的に知っていることです。弱々しい音の音量を上げても力強い演奏にはならないのです。だから良いミックスの参照曲は良い作編曲家の作品にしか見つからないと信じています。

2. すべてのパートがきちんと聞き取れるようにする。

何百年もの間クラシックの作曲家にとって「作曲する」=「譜面を書く」でした。録音なんて発明されていない時代ですから、民謡のような旋律だけのものは年長者が若者へ口で伝えていくことができますが、様々な楽器が入り組んだ複雑な楽曲は譜面しか記録の方法がありませんでしたからね。

それらの音楽は「様々な演奏家によって繰り返し演奏され続けていくこと」を願って書かれています。つまり演奏されるごとに違う演奏になる音楽として作曲されています。

だから極端な言い方をすれば、クラシック音楽のオーケストレーションには聴きとれないパートがあってもいいんです。むしろあったほうがいいぐらいです。そのお陰で、指揮者によっては「通常埋もれてしまうこのパートを前面に出そう」などとその人なりの工夫ができるわけです。もう何度も聴き尽くしたと思っていた楽曲のコンサートで、初めて聴くパートを発見してドキッとすることもあります。

また譜面を見ながら「今の演奏ではほとんど聴こえなかったんだけど、実はここのチェロパートがものすごく細かく計算されて書かれているんだよね!」といったような楽譜だけを勉強して鑑賞することだってできます。

映画音楽は、通常演奏されるのは録音セッション1回きりです。その後は一生演奏されることのない音楽です。(映画音楽のコンサートもありますが、録音と同じ譜面を使うことはまずありません。この間もあるコンサートのために編曲しなおしました。)録音ですから、100回鑑賞したら、100回とも全く同じ演奏です。もちろん、楽譜が出版されることもまずありえません。

だから、その1回きりの録音で確認できないパートは、書かれていないのと同じなんです。どんだけ演奏家の方が一生懸命演奏してくれていても、聞き取れなかったらその演奏家はいなかったことになるのです。後から楽譜を見てじっくり研究しないと分からない工夫も何の意味も持ちません。(作家の自己満足としてそういう要素も入れますけどね。)

だから、「書いた音符は全て聴き取れなければいけない」、これが録音音楽のエッセンスです。全て聞き取れるように編曲し、演奏し、録音し、ミックスされなければいけません。「これ本当に聴こえるパートなのか、意味のある音なのか」常に自問しています。(目からも情報が入ってくるコンサート用なら聴こえなくても動きから伝わるのなら書いてしまいます。ここで弦楽器全員の弓の動きがバシッと揃う気持ちよさ、とかね。)

2番目の条件も、まずは作編曲がきちんと高い次元で出来ていなければミックスだけでは達成できません。でも編曲が素晴らしいのに見通しの悪いミックスがなされたものも有名作品の中にも結構ありますので、やはりミックスの問題でもあるのです。

長くなりましたのでここで区切って、次回は具体的なエンジニアの名前や作品名を上げて、私がデモ音源などをミックスするときにお手本にしている理想的な音を紹介します。