EROはいつもの論理構造幻視 | Music from Berry Fields

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Berryz工房とBuono!の楽曲ファン Penguin Cafe による音楽ブログです

141227(土)

 

Berryz工房の全曲をかけ流すと16時間くらいかしら。朝から始めて24時くらいの感じですねw。全曲ライヴとか考えると。1公演で1.5時間歌うとしても11公演くらい必要ですねw。ツアーでやれば可能なのですが。。。ナルチカ感覚でやればよかったのにw。

 

さてさて。ぼんやりかけ流して。あらためてEROをきいてみると。ヘンな感覚w。歌詞は♂をベッドに誘う♀の世界観なのですが。「地球には幾千もの愛がある 全部自分のものにするくらいでどう?」がするりと入ってきてささやきます。「幾千もの愛を全部自分のものにしたら・・・当然ボンデージもSMもあるわけだから。スキなのを選んでいいのよ。今夜のお勧めはSMなんだけど」と。

 

衣装やダンスの基本コンセプトはプロデュースサイドがキメるハズなので。そういうコンセプトなら全体がつながるように直感したのです。あの曲があの衣装とフリで展開される理由は、そういうコンセプトなのかもしれないと。この歌のテーマが性愛のスタイルならば、幾千もの愛というのは個別の恋愛の数ではなくて性愛のスタイルのことであり、そこらへんのじゃつまんないからROCKエロティックというSMでもいかがということですね。


う~ん。そんな論理構造が隠れていたのかぁ。と幻視してみましたw。そう思って聴き直してみると、理路整然とした曲に聴こえるから不思議ですw。まあ。プロデュースサイドは嗜虐的な方々なので、そんくらいのことは日常か。願望かw。男女の化けの皮を剥がせば♂と♀だろ。みたいな論理構造は。むかしから一貫したもので、だからこのビジネスが成立するんだという理念だし。因果な幻視でしたねw。

 

脱力してまたかけ流していると。愛はいつもに引っ掛かります。愛に上も下もないという論理構造を整理するとどうなるか。そう主張する以上、現実の愛には「普通」と「上」と「下」が存在するように見えることを前提にしていますが、上に見られる愛が至上の愛とすれば、下に見られる愛って。。。ERO?SM?アブノーマルな愛ということでしょうかw。一般的には下に見られる愛が君の中で光っているけど、あきらめないで、笑ってそれに挑めということのようですねw。

 

アブノーマルな愛を正当化するために「学問のすゝめ」を引用するとは。不遜なことです。福沢さんを揶揄し、慶応を嘲笑したかったのかしら。権威に挑戦したいのはいいけど。じぶんの性癖を棚に上げといてw。ズルイ女の世界ですねw。


さて。衣装はミリタリー、曲調は軍歌、三連符の連打によるたたみかけ。最初は右傾化日本の応援歌して時流に取り入ろうとしたのかなと思ったのでした。これを近隣の国でやったら無事では帰れない感じだし。亡国のアイドルがヘンな腕章をしてバッシングされたくらいですから。きわどい領域で営業してBerryz工房を危険に晒さんでくれと憤ったものですが。歌詞の論理構造を幻視すると。違った見え方になってきましたw。

 

下に見られるアブノーマルな愛で。あの格好なら。。。フォーw。ハード芸ですね。女子が男装して。男子に愛を要求する世界。三島さんかなw。たぶんそういう性向なのでしょう。もうそこまでヒネらないと生きてゆけないツラさが滲み出ているのかもしれません。それはそれで立派な理由かも知れませんがw。Berryz工房とそのファンに押し付けたり晒して欲しくはありません。どうせヒネるならDON'T WANT!くらいにしたらいいのに。

 

♂と♀だけではなく。♂と♂。♀と♀。そんな組み合わせに四苦八苦しなくても良いのに。そのすべてがカワイそうになってしまうじゃない。同情されたくないヒトなはずなのに。そんな曲を作っちゃダメでしょ。下に見られちゃうでしょ。

ふぅ。幻視もこれくらいで。つかれますね。で。最後の幻視w。三島さん風なら。仮面の告白モードなのかも。ホントのじぶんはこんなだから。仮面を脱いで告白してるんだから。誰か気付いてくれよ。つっこんでくれよ。以上だって言ってくれよ。そんなことかもしれません。嗜虐的な裏側は自虐的なのかもしれません。それではメジャーにはなれませんが。見向きもされないと思いますが。

 

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