バリキャリでもゆるキャリでもないワーキングマザーの自分×バランスの見つけ方 -7ページ目

バリキャリでもゆるキャリでもないワーキングマザーの自分×バランスの見つけ方

3姉妹(12歳中1、9歳小3、6歳小1)の子育てをしながら、おくすり開発の仕事をしているワーキングマザーです。

バリキャリでもゆるキャリでもないワーキングマザーの日々の暮らしやそんな私が考えていることを綴っています。


お薬開発の仕事をフルタイムでしながら、3姉妹を育てているワーママのセイコです^ - ^



久しぶりにブログを再開することにしたんですが、ずっと書き上げたかった今の自分の自己紹介からスタートしてみましたニコニコ



こちら

の投稿からの続きで三女の育休に入って自分と向き合うようにになってからお話。



4.自分を知る



このブログでも書いていることもあるし

書いてないこともあるけど

私は自分がアメブロを始めたことをキッカケにアメブロを通して繋がった人たちがいる。



ブログの文章が私に響くなと感じた人たちがいて、少しずつ交流するようになった。



その中でも特に繋がれたことが大きな転機になったと感じている人が3人いて


1人目は三女の産休中にお会いした林ゆう子さん


カードを使ったセルフコーチングや

ダイアリーで自分と向き合う方法を教えてもらった。

ゆう子さんの言葉はシンプルに本質をつくから

スッと私の中に届いたんだけど

お会いして言われたちょっとしたことが

私の中では今でも生きている。



教えて貰ったカードを使ったセルフコーチングはノート2冊分以上書き出して向き合ったし

ダイアリーを使って日々の感情に向き合うこともコツコツと重ねていった。



少しずつ自分を整える中で繋がったのが2人目の岩橋ひかりさん



当時はワーママで発信している人をみていた1人で

当時は個別のカウンセリングをしていた頃かな。


このブログでもその後に参加した個別のキャリア講座やオンラインの講座、オンラインサロンでのことなんかを書いていて

私の自分の向き合うワークをすることや

オンラインでの交流のベースにもなり

講座卒業後も交流が続いたし、イベントに登壇させて貰ったり

インタビューを受けたりと色んな経験もさせて貰った星



そして、最後はひかりさんと同じくらいの時期に同じように発信していた

小田桐あさぎさん


あさぎさんは三女の育休中に一度Skypeでお話したのが最初。

その後、あさぎさんはお茶会や講座を始められて、起業してと活躍されて


会社員でワーママではなくなったけど、発信が面白くてブログは何となくずっと読んでいた。

その後、オンラインサロンの魅力ラボが始まり面白そうと入ったんだけど



そこでの交流は仕事やママ友といった繋がりとはまた違った世界が拡がり

仕事や子育てに偏りがちだった私には

程よく自分のやりたいことや興味に目を向けられる場になった。



三女の育休からの復職後はマネージャー、チームリーダー、メンバーに恵まれ色々と話しができたので働きやすい環境となった。

まずは復職して慣れることを第一に考えて時短勤務を選択していたが、1年くらい経った頃には次のキャリアを考えることもできるようになった。

そんな中で担当していたプロジェクトが中止になり仕事のペースに余白ができたことがあったんだけど


ずっと忙しさに追われていたけれど、突然自分がこれから進めていこうと考えていたプロジェクトがなくなって


忙しさには追われないけれども、そんなにすることにない日々を送ることで改めて自分は医薬品を開発して世の中にだすということにやりがいを感じていて


子育てに追われて疲れて見えなくなっていたけれど、仕事が好きなんだと実感した。



そんな風に、好きな仕事をして、子どもたちと過ごす時間もあって、自分の好きなことをする時間もあってとそれなりに充実して過ごしていた2020年の年末。


魅力ラボを通して、小田桐あさぎさんが魅力覚醒講座をすることを知った。

ただ、それまでに何度か講座の募集があっても、特に参加するつもりのなかった私。



だけど、ラボで参加していたとある部活のとても信頼していたメンバーがあさぎさんの講座のサポートは最後かもと言っていたのもあり、私の中では参加するなら今回かなと参加を決めた。



入るにあたって決めていたのは、以前のキャリア講座を受けた時は育休中だったから、あまり仕事に関してワークができなかったから



今回は仕事をしている今、仕事のことを集中して見直す時期と決めたこと。



自分を知るができつつあるし、自分でワークをしたりもできなくはないけれど

以前にオンラインでキャリア講座を受けた時に、仲間がいて環境があって取り組む方が集中できるのを知っていたから、集中して取り組める環境でやろうと参加を決めた。




お薬開発の仕事をフルタイムでしながら、3姉妹を育てているワーママのセイコです^ - ^



久しぶりにブログを再開するのに、今の自分の自己紹介を書いてみることにしましたニコニコ



こちら

の投稿からの続きで、子どもが産まれてからのお話です。



3.仕事と子育ての両立

職場を異動して1年ほど経ったタイミングで長女を妊娠し、長女が6ヶ月の時にフルタイムで復職しました。

この時期、私自身は定時で帰れる職場で両立しやすい環境ではあったけど、夫は仕事で忙しく、平日と土曜が今で言うワンオペで

今思うとこなしてはいたけれど、体力的にかなり疲れていたかなアセアセ



あと、ずっと派遣だっから転職しようと決めていたので、復職して1年経って担当していたプロジェクトがちょうど終わったタイミングで転職した。

私が転職してしばらくして、夫は独立して仕事をするようになり時間の融通がきくようになった一方で

私は転職してからは仕事が忙しくなり、この頃になると子供のことはほぼ夫がするようになっていった。



保育園もかなり延長を使っていて、近くに住む親に週1回預かってもらうのが日常になった。

私の忙しさが続く中で転職して1年くらい経った頃に次女を妊娠した。



このブログを始めたのも次女の産休中で、仕事に追われていた分、は子どもたちとの時間を楽しんで残そうと書き始めた。



復職するまではそれなりに楽しく更新していたけど、

保育園のこともあって生後6ヶ月のタイミングで復職してからはなかなか出来なかったかな。


2回目の復職は前と同じ業務量はこなせないと思ったので時短で復職した。

でも、実際には業務量が多く18時に切り上げて無理やりお迎えに行っていたり、

夫がお迎えに行ってくれる日は残業したりとフルタイムではないのに全く時短の時間では帰れず、

マネージャーとも相談したけれど、業務量が減ることはなく体力もだし、何より気持ちが疲弊していたなぁと思う。



また、休日は完全に仕事をしないと決めて過ごしていたけれど、夫は土曜日は仕事で土曜日は完全にワンオペだったので

週末に仕事で疲れている中、子どもたち2人と家にいても煮詰まると思い

家事は手放し、子どもたちとどう心地よく過ごすかを考えて、習い事や公園など外に出かけて過ごし

精神的に疲弊しすぎないようにしていたけれど、体力的にはかなり疲れが溜まっていたし

豊かな時間でもあったけど、とても頑張っていた時間でもあったかなと思う。



この時期、仕事に関して嬉しかったのは、次女のお休みに入る前、昇進についてはお休みを挟むことで

入社してからの経験が評価されるかわからないというのを聞いていいたから

一から再スタートかなと思っていたところ、復職して1年で昇進できたこと{emoji:ハート}




子育ても自分の中ではすごく大事に考えていたけれど、やっぱり仕事も好きだなと思ったし

でも日常がハードでなかなかバランスがとれずしんどいなと気持ちは揺れていたように思う。



時短の中で仕事をこなしながら子育てをしていたけれど、もともと3人子どもがほしいと考えていたので、復職して1年半くらい経った頃、三女を妊娠した。

そしてこの頃には、時短だけど残業をしていて忙しさの変わらない仕事をこのまま続けるのがいいのかを考えていた。




結婚・出産後、妻となり母となった今の働き方が本当に自分にあっているのか、私が望んでいるの在り方なのか、私はどう在りたいのか。



改めて自分の今後の人生について深く考え始め、私は仕事を辞める可能性も含めて、三女の育休に入った2015年の冬、私は自分に集中すると決めた。



子供のこと、仕事のことで日常が溢れていたから、自分がやりたいことをして、自分がどうしたいのかを考えることにした。


4.自分を知る


に続く



お薬開発の仕事をフルタイムでしながら、3姉妹を育てているワーママのセイコです^ - ^



久しぶりにブログを再開するのに、今の自分の自己紹介を書いてみることにしたよニコニコ



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の投稿からの続きで、社会人になってからのことです。


2.現実社会で自分を発揮する


私は大学で学んだことと入社して研修で学んだこと両方を活かして、

担当したプロジェクトを進めるのはとても楽しかった。



開発の仕事は従う必要があるルール(法律)があって、色々なプロセスに手順書を作る事になっていて

暗黙のルールみたいなのがわからない私には基本を理解して進めるということはとてもわかりやすかった。



一方でルールに当てはめて全てを進められるわけではないので、基本をベースに応用させることも求められる。

最初、派遣という形で働きはじめて経験も浅かったけれど、「どう思うのか?」と

指示ではなく考えさせるよう接してもらったことは、ルーティンワークよりも基礎をベースに応用したり、自分で考えて進めたいという私にはとても合っていたし、

学んだことをバランスよく組み合わせて応用させることが楽しく、どんどん経験を積み

更にその結果、成果を評価されるということを経験することができた。



また、働き方が派遣という形態だったのもあって、自分が携わっている業務がどういったキャリアとなるのかを考える機会が多く

どういった経験を積んで、キャリアアップしたいのか

そういったことも意識しながら仕事をしていたので、新しい業務に自ら挑戦することもできたし

そういった姿勢がさらに評価され好循環となった。



学生の頃は人より秀でた才能があるわけではないことへのコンプレックスや学歴に対するコンプレックスがあったけれど

仕事で1つの秀でた才能が評価されるというわけではなく、求められている成果を理解して、スケジュール通りにクオリティを維持しながら試験を進めることが重要であり

全体のバランスを見る力、クオリティを保ちつつ進める力、自分で考えて調整をする力、そういった部分が仕事を通して



自分の持っている能力として出てきて成果に繋がったことで評価され、やりたい仕事を任せてもらえるようになり

この経験を通して、コンプレックスは薄れていき、忙しくはあったけれども、とても充実した毎日を過ごした。



仕事に邁進し、仕事一色の充実した毎日ではあったけれど、大学を卒業した翌年に結婚した私は

20代のうちに出産をしたいと考えていたので、社会人4年目頃には仕事と子育ての両立について考えるようになった。



当時の職場は多くのキャリアを積むことができたけれど、忙しい職場で子育てをしている人がいる環境ではなかったため

別の子育てをしながら働いている人がいる職場への異動を考えるようになった。



私は積み上げていたキャリアであれば、募集があれば異動が叶う可能性が高いこともわかっていたので

異動希望を会社と相談し、当時、担当していたプロジェクトの終わるタイミングを見計らって、自分の希望する職場への異動を実現させた。



私は社会で必要とされるキャリアがあれば、自分が望む環境を手に入れられるということを経験することもできた。



3.仕事と子育ての両立


に続く。


お薬開発の仕事をフルタイムでしながら、3姉妹を育てているワーママのセイコです^ - ^



久しぶりにブログを再開するのに、今の自分の自己紹介を書いてみることにしましたニコニコ

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の投稿からの続きですルンルン
まずは子どもの時のことからです。


1.子ども時代に学んだこと


物心ついた頃の最初の記憶は幼稚園の頃。

父の仕事の関係でニューヨークへ行っていた私は年中さんの途中で帰国して

日本の幼稚園に転入することになり、母に初日はついてきてもらったことを今でも覚えてる。



特別に仲のよい友達がいたわけではないけれど、意地悪されたこともなく

良くも悪くも特別印象に残る記憶はない日々。



大人の言うことは理解していて、先生から怒られることはなかったけれど

運動が苦手で、騒いだりすることもなく大人しく静かに過ごし

分厚いメガネを掛けていたから、周りから見たらより地味な印象だったんじゃないかな。



振り返るとみんなの中になんとなくあるルール?(常識?)がよくわからない、理解できないと感じていて

だから、基本まず人の話を聞いたり観察していて聞かれたら自分の話をするけど

自分から話すことはほぼなかったから大人しい印象につながったと思う。



その中で大人の先生が言うルールはわかりやすく理解できたから話を聞いて

その通りにやっていったら小学校の勉強はどの教科も結果がでで楽しくなっていった。



くもんに行ったり、小4から塾に行ったり更に世界が広がり

知らないことを知ること、出来なかったことができるようになることは私にとって楽しいことだなと思っていた。


一方で学年が上がってくると、人と同じは嫌という思いと、もっと理解しあえる親友が欲しいと思うようになっていたけれど

同級生の考えていることは正直あまりよくわからず、距離があったように思う。



また、勉強以外の体育や家庭科、図工は言われたことがすぐには再現できず、できるようになるには時間がかかった。



言われたことに対してやらないとかやりたくないという選択肢はなく全力でするけれど

器用ではないから、頑張っても結果が出ないこともあると感じていた。



これは幼稚園のころからの積み重ねで、全力で取り組んだとしても人よりできないことが自分にはあるとかなり小さい頃から自覚していた。



だこら同時に例えば、足が速い人とか絵がうまいとか自分にはない輝く才能には純粋に尊敬の気持ちを持っていた。



また、自分の感覚と周りの感覚は何かズレがあると感じていたので、私はそのルール理解してもっと人と仲良くなりたいなぁと何となく思っていた。




中学は公立に進学したんだけど、そんな感じ出来ることできないことがある私をみて


親から中13学期に私立中学の編入試験を受けないかと言われた。


小6の時にも言われたんだけど、中学がどういう場所か分からず私立に行く意味がわからなかったから



公立に進学したけれど、1年通って私には向いていない場所と理解したから、編入試験を受け

中学2年生の4月から私立の女子校に編入した。

今までと違う環境を私自身は楽しみにしていたし、友達はすぐにできたけど

中学受験してなかったから学習面でのギャップが結構あったかな。



テスト毎に各教科の点数と順位、総合順位が出されて渡されたけれど

得意だった理科や数学は追いついたし上位に入れるようになったけど、勉強量が1年で違ってかつ苦手意識があった英語は全然だめだったかな。



私は小さい頃に頑張ってもできないことがある分、ずっと周りからもわかりやすい才能が欲しいと思っていた。

勉強で何か1つ飛び抜けるでも、絵でも、歌でも、ダンスでも、スポーツでも、容姿でも、社交性でも。



だけど、私は要領がいいわけでもなく、オールマイティにできる才能も特別得意な科目があるわけでもなく、勉強も上には上がいて特別な才能があるわけでもないなぁと

できる人たちへの羨望が間違いなくあったし、私は自分が中途半端な存在で自分には何があるんだろうとずっと考えていた。



そんな感じで中学を過ごし、高校に上がる中で私の中で楽しいと感じていた生物も学べて、資格を取ることができる単科の薬科大へ一浪して進学した。



大学は人との関係性が中学、高校から大きく変わったけれど、学ぶという意味では医療現場で活かすという視点の分野も入ってきて


成績がいい方というわけではなかったけれど、実際に活かすには?という視点や高校までより深く化学や物理は学べたことは楽しかったかな。



振り返るとこの学生時代は楽しくはあったし、進学校だけど成績が全てではない校風だから居心地は凄いよく環境には恵まれていたと思う。



そして、私は分野の基礎にあたることは理解できるけれど、研究をしたりして深めるということについては興味を惹かれたけれど

自分の得意・不得意の偏りにコンプレックスがあったのと、早く自立したいという思いが強かったので、

就職するときには、大学で学んだことを活かせる仕事につくということを考えて、お薬開発の仕事を選んだ。


2.現実社会で自分を発揮する


に続く