映画「泥の河」を観ていたら、第二次世界大戦が終戦して10年しか立っていない日本が舞台だった事をあらためて知る。
昭和30年…、私が生まれたのが昭和40年代だから終戦から20年しか立っていない時に私は生まれたことになる。
私ももう50の後半なのだが、振り返ってみれば20年なんてあっという間でそんな浅い時期に自分が生まれて来たことに軽いショックを受けている。
小学生時代、先生らは皆こぞって「戦争は愚か」「間違いだった」、日本は間違っていた等々、学校だけではなく、テレビでも新聞でも「愚かだった、悲惨だった」というものが多かったし、それに対して何か意見を求められば同調するのが当たり前、これから平和を目指していかなければならないと熱心に教鞭をとっていた先生の方々が多かったように覚えている。
その度に子どもながらに他の意見を言えない雰囲気になんとも言えない違和感を抱いていた。
戦争をテーマにしたものが子どもながら多かったように思うし、どれも戦時中の軍部の悲惨さや人の無惨な映像ばかりでそれらに触れるたびにそれらになんともいえない気持ちになり、心の澱が溜まっていくようでどうしょうもない気持ちばかりが続いた。
そんな時代の作品のひとつが「泥の河」なのだけれど、少年の父親がシベリアの地で戦いながら必死で生きて日本に還って来て、いざ生きてみればその後の人生に表現することの出来ない思いを抱えてしまう…。
父親の生きている様子は、私が子供の頃見ていた街の風景、大人たち物憂げな寡黙さ、吹く風の淋しげな夕暮れ、どれもいうに言えない心の痛みが街中に充満して、足元から引っ張られていくような気がしていたあの頃を思い出させる…。
あの哀しみは一体なんなのか?
少年の頃私も中洲の公園のどうしようもない淫靡な雰囲気のなか、汚れた川を眺めていたのだ。
映画の中で「こんな生活ならばあの時、戦争で死んでおいたほうがましだったかもしれないな…」という父親のセリフが悲し過ぎて仕方なかった。
一体どうなってしまうのか…?人の心を置いてきぼりにして「高度成長期」に突入して経済成長が何よりも正しい事で、より前へと進む世の中になったものの残され、消えていく人々。
多くの悲しみが日本の地を通り過ぎていった時をこの街並みはずっと見守って来たのだなとどこに行っても思ってしまう…。
あの映画「泥の河」が見つめていたものは一体なんだろうか?
哀しみがいっぱいに詰まった橋下でひっそりと生き延びる母と姉弟…。
それを見つめる少年の眼差し。
少年の母の眼差し。
少年の父の眼差し。
そのひとつひとつの瞳に無限の空虚に似た悲しみをどうしても感じて動揺してしまう。
そして、そうしながらも時折り見える優しさは一体なんなのだろうか…?
お疲れ様です。
秋真っ只中ですね。
今年は行けましたよ。
落ち葉拾い。
久しぶりに紅葉を見た気がします。
ご高齢のご婦人が一生懸命にキレイな銀杏の葉を拾い集めていたのが印象的でした。
行ってスマホで撮っても明る過ぎてその時はちゃんと撮れているのか分からないけれど、家に帰って来て家の中で見ると撮れてましたね。
最近は、気持ちも落ち着いていたのですが、ここ数日はソワソワ感が心を満たしてきます。
自然の中に身をおいてみるとそれは余計に強くなって胸を締め付けられるような切なさが迫ってきます。なんででしょうね?
紅葉が美し過ぎたのか…?
いつもごとく原因は謎のままですが、そんな自分も受け入れてしばらく川辺を歩いていました。
ススキが秋の日光に照らされて、風に揺れるとなんか話しかけられているように感じてスマホで撮ってみました。