「わぁ、久しぶりぃ~」
小さなカフェの店内にウェイトレスの愛ちゃんの甲高い声がこだまする。
ぼくは久々に恭介のカフェを訪れた。仕事で起こりそうな変化を恭介にジャッジしてもらおうと思って来たのだが、さすがに恭介にかかればぼくの事なんてお見通しのようだ。
「よぉ青年!今日はどんな仕事の話だ?あんまり仕事の事ばかり考えずに、ちゃんと薫さんや雪ちゃんの事も考えてやれよ!」
恭介はそう言って、ぼくの好きな恭介オリジナルのコーヒー豆を挽き始めた。何とも懐かしさを覚えるその香りに心が癒される。店内にはエディヒギンズのピアノが流れていた。
「どうした?モダンジャズ信者の恭介にしちゃぁヒギンズなんて珍しいのかけてるね。そっちこそ色々人生悩んでるんじゃないの?」
ぼくは少しからかうようにそう言うと、すかさず恭介が反論してきた。
「愛が、ヒギンズがイイ!ってうるせぇんだよ。まぁ今日は愛がこの店でアルバイトを始めてちょうど1年なんだ。何て言うか・・・、そういう訳で今日は特別ってこった。」
「なるほど。恭介にもそんな優しさがまだ残ってんだな。微笑ましい話だ。」
そうか・・・もうあれから1年がたつのか・・・・。
愛ちゃんがはじめて恭介の店に来た日、ぼくは偶然、妻の薫と店にいた。屈託のない笑顔がとても印象的な女性で、「恭介の意地悪にくじけそうになったら、いつでもぼくに相談するんだよ。」って声をかけたのを思い出す。
その日がそんな愛ちゃんとの最初の出会いという事もあるけど、ぼくがその日の事をとてもよく覚えているのは、滅多に愚痴を言わない平凡平和主義者の薫が珍しく自分の想いを口にしたから。
その薫の想いとは、仕事復帰だった。波風たたない平凡な暮らしの中に幸せを見出す彼女の価値観から、ぼくは専業主婦こそが最も彼女に合った職業なんだと思いこんでいたから、彼女の仕事復帰を示唆するような発言には正直驚きを隠せなかった。
娘の雪が10歳になり、色んなことが理解できる年齢になってきた。親が子供の面倒を見るのは、「ここのつ」まで、と昔から言われているが、まさに我が家でもそんな空気が漂っていた頃だった。薫は娘の10歳がひとつの区切りのように考えていたのかもしれない。
ぼくは少々古い人間で、「男は外で働き、女は家を守る」という古典的な思想を持っている。そこで彼女と衝突した。ぼくは薫に働いてほしくないと言い、もしお金が必要ならぼくがもう少し別の仕事を増やしてもいいと。ぼくは妻が働くという事が、自分の甲斐性の無さにつながると考えるタイプだから、熱を帯びて彼女を説得した。
その話を黙って聞いていた薫は、何事もなかったかのようにこう言った。
「何ムキになってるのよ。ほんのちょっと思っただけよ。さっ、この話はもう終わり!」。
1年前のあの日の薫の言葉を思い出しながら、ぼくはあれから1年間の彼女の心の中を察した。今彼女は何を感じて何を想ってるんだろう。そんな風に考えると、胸の奥が締め付けられるような感じに陥った。
「実は、独立しないか?って話をもちかけられてるんだよ。」
ぼくは唐突に恭介にそう語りはじめた。
「今の取引先や仲のいい同業者4人の共同出資という形で新しい会社を立ち上げようって話なんだ。どいつもやり手で、こんなメンバーで立ち上げられるなら面白い仕事ができそうで、ぼくは悪くはないと思ってるんだけど、薫は平凡を望むタイプだから、どうやってそれを言おうかなって考えてる。」
「そいつぁやめとけ。共同出資なんて絶対長くは続かねぇぞ。最後はケンカしてののしりあって終わりだ。ダメだったダメで借金は残るし、儲かったら儲かったで利益配分でもめる。俺の勝手な意見を求めるなら、そんな風に思うけどな。」
恭介は、いつもの調子で間髪いれず返してきた。そしてこう続けた。
「それよりもなぁ優也、お前最近薫さんと本当にうまくやってるのか?あれから何度か薫さんここに来たんだぜ。まぁ別に一人で薫さんが来ることがおかしな事じゃないんだけど、何て言うのかなぁ・・・・、もっとお前が薫さんの心の声を聞いてあげないとダメなんじゃねぇかな。何か知らねぇけど、そんな風に感じる。昔の薫さんじゃないっていうか・・・。ここ1年の話だけどな。」
ここ1年・・・。やはりあの日を境に薫の心には何かしらの蓋が閉じられてしまっているのかもしれない。恭介の言葉にぼくの頭の中は混乱した。
自分自身の今の仕事の事、そして新会社設立の事・・・・。僕は自分の心すら落ち着かせる事ができない中で、薫の事まで考える余裕がなかった。と言うよりも、あえて彼女の気持ちを見て見ぬふりをしていたという方が正解かもしれない。今日はその部分を恭介につつかれたようで余計に辛かった。
僕自身も心に蓋をしてる部分があって・・・・。それをこじ開けて乗り越えていかないとその先は無いのもよくわかってるつもりだ。でもそれがなかなか難しくて・・・。
恭介の店を出てしばらく三ノ宮センター街をとぼとぼと歩いた。何かしら色んなものが処理できずに脳を支配してるようで、僕はそれを落ち着かせるためにもう一度カフェに入る事にした。そしてiPadを取り出しメールボックスを開いた。
木綿子さんからのメールを開く。
料理教室が成功し、なおかつ木綿子さん自身の成長をくみ取れるその文面に僕は癒された。そしてすぐにでも会って話がしたい・・・そう思った。
僕たちはバーチャルな付き合いだから、お互いの顔も何も全く知らない。僕は木綿子さんに天使のような輝きと華やかさを感じている。その存在は妻の薫と対照的なようにも感じていた。時折木綿子さんの表情を想像してみる。でもはっきりとは表情は出てこない。ただ南の島の明るい空気感が僕の中に漂っていて、僕は南米の青く可憐な花「ブルースター」をいつも想像するようになっていた。
そんな木綿子さんのメールの中のこの一文にぼくは心揺さぶられていた。
―でも・・・
―会いたいけれど・・・
―私たち、会わない方がいいのかもしれない。
―こうして見えないお互いの姿を追って相手を思っている方がいいのかもしれないわね。
僕は何度も読み返し、その真意を探ろうとした。メールだけでは伝わらないものを僕は感じていた。そしてその答えを見出す事ができないまま、木綿子さんへの返信を書き始めた。
- 木綿子さんへ
- 引っ越して初めての料理教室、大成功だったんだね。
- おめでとう!!
- 僕まで嬉しくなるよ。
- >目に見える素敵なものよりも素晴らしいものは、目に見えない心で感じる美しさ。
- >それを伝えるのは勇気のいることだった。
- そうだね。その通りだ。
- 見えないものほど価値があるし、見えないものを大切にするという気持ちは大切だと思う。
- 木綿子さんが一歩踏み出す勇気が僕とのメールで生まれたのなら、それは僕にとってもすごく嬉しいこと。
- お互いに自分を見つめ、お互いを鼓舞できるってステキな関係だと思う。
- でもそれは木綿子さんの言うようにバーチャルだから・・・なのかもしれないけれど。
- 僕の中で今、木綿子さんの存在はすごく大きい。
- 木綿子さんの全く容姿を知らなければ、声すら知らない。
- でも何となくこんな雰囲気の女性なのかな・・・なんて時折想像してみたりするんだよ。
- そんな時、なぜかいつも海の香りがするんだ。
- そして青いブルースターの花が、僕の想像いっぱいに広がってくる。
- 何でだろうね。夏を感じてしまう。
- まぁそんな事より、また次の料理教室の予約はいったんだったら、頑張らなきゃね!
- 応援してるよ。
- 優也
何だか支離滅裂だな・・・なんて思いながらも、送信ボタンをクリックした。
今の僕には、それ以上考えられなかったし、バーチャルだけで会わない方がいい・・・という木綿子さんの真意を確かめるだけの余裕も勇気もなかった。
何が正解なんだろう・・・・。
ただそんな事を想いながら、またいつもの日常に戻っていった。
To be continued・・・ Written by 琉咲 凌