北野坂にあるジャズバー「ブルーマンハッタン」。ジャズの街、神戸の歴史の中でも古い方にあげられる老舗のジャズバーで、ぼくのお気に入りのお店だ。
仕事を定時で終えたぼくは、一人北野坂を下りブルーマンハッタンに入った。今夜は少し一人でゆっくりと飲みたい・・・・そんな気分だった。
まだ少し早い時間なのか、店には客が一人もいなかった。
ぼくはいつものように店内で圧倒的な存在感のある白木の一枚板のカウンターに座る。しばらくするとマスターがトミーフラナガンのLPを出してきた。濃いブルーのジャケットのそれは、1977年録音のロン・カーター(b)とロイ・ヘインズ(ds)のトリオ盤とクレジットされている。ぼくの知らないアルバムだった。
トミフラ好きのぼくのためにマスターが仕入れてくれたらしい。
「かけようか?」
マスターの笑顔にぼくも笑顔で頷いた。
最近ムーディーなジャズに心癒されていたんだが、トミフラのそれは、何と言うかとってもジャズだった。迫力あるベルダンディはさすがヘインズ。トミフラにはこういうドンドンガンガンのドラマーが合うのかもしれない。
久々にトミフラの躍動感のあるピアノを聴いて、ぼくは少し気分が高揚した。
「いいねぇ。最高だ」
「相原さんの好きそうな感じだよね。気にいってくれてよかったよ」
こってりしたジャズを聴くと、こってりしたウイスキーがほしくなる。ベルダンディを聴き終えたぼくは、いつものラガヴーリンより更にピート香の強いラフロイグのロックをオーダーした。
遠くスコットランドのアイラ島の岸壁に打ち寄せる荒々しい波しぶきを想像しながら、一杯やる。
まるでそれは自分自身が直面している人生の荒波のようにも感じられた。
仕事、人生、家族・・・・。あらゆるものがぼくの脳の中で混ざり合い、混乱をきたしていた。会社への不満を感じながらも、独立や転職へと行動できない自分自身に苛立ち、プライドをどこかに置き忘れてきたようにも感じられていた。
「男なら、必ず一度は通る道ですよ」
マスターはそう言って、ぼくの心をいつも落ち着かせてくれる。もちろん薫や雪のことを考えると、自分勝手なことなんてできる訳もなく、結局は家族のためという答えに落ち着くほかないのである。
しかし、そういう答えは男としてとても卑怯で、哀れであると感じていた。自分自身の行動力の無さを、家族の犠牲にすり替えているだけの事だと・・・。
今夜もそんないつもの夜だった。
ふと、木綿子さんの事が頭をよぎった。今ごろ木綿子さんは何をしているんだろうな・・・。
少し声を聞きたいな・・・なんて思うが、電話番号すら知らない訳で、ぼくはただひたすらに彼女の面影を想像する以外になかった。
店内には、デクスターゴードンの「EAZY LIVING」がながれていた。
ぼくはラフロイグの入ったオールドファッションドグラスを両手でかかえこむように握りしめ、深くため息をついた。
その夜は伊集院静の小説にでもでてくるような美しい受け月が夜空に輝いていた。北野坂を上るぼくの千鳥足をそんな美しい受け月がやさしく照らしてくれているようだった。
翌朝、スーツに袖を通した瞬間、繊維にこびりついたピートの香りを感じた。
まだ昨夜の余韻をひきずってるような・・・、そんな朝だった。
To be continued・・・ Written by 琉咲凌