小泉純一郎(4) 公共事業悪玉論 | 保守と日傘と夏みかん

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小泉政権は、公共事業削減を打ち出した。

公共事業にはムダが多いのは事実だ。しかし、ムダがあるなら、ムダをなくせば良いだけだ。本当の公共事業改革は、必要なものをしっかり選別し、優先順位をつけ、できるだけ安く、できるだけ速くという効率化の努力を重ねることではないか。

奇妙なのは、談合・癒着や、利権、ムダへの批判が、そのまま公共事業そのものの否定になってしまっていることである。それほど、公共事業アレルギーが定着しているのだ。公共事業を要求することが、あたかも犯罪でもあるかのように扱われる。

しかし、公共事業は本来、国民のためのものである。公共事業が、国民の生命と生活をまもるための社会資本だということが忘れられ、国民自身が社会資本整備を拒否し、「ムダだ」「いらない」の大合唱なのである。

こうした日本の現状は、世界の中で異例である。

大災害の頻発は世界的規模の現象だ。各国が予算を拡大し、大災害に対応するための社会資本整備を急ぐ中、日本だけが逆に縮小しているのだ。

平成10年、日本の公共事業の国家予算は14兆5000億円だったが、いまや半分以下の6兆5000億円。しかも、今後さらに削減の予定である。

よくぞと思うほど大地震が頻発し、かつてないほどの巨大台風が夏の初めからおしよせる。これほどの大災害が各地で続いても、「災害に備えて社会資本整備を急げ」という声は、どこからも上がらない。
いや上がっているはずなのだが、取り上げられない。したがって、声が大きくなることもない。災害地からの報道も、社会資本整備の遅れを非難する声を伝えない。

なぜ、こんなおかしなことになったのか。いつのころからか、「公共事業悪玉論」が世の中の常識となった。





『平成経済20年史』 紺谷典子