もう10年以上も前、スクラップを見ていて気がついた。同時期に公共事業批判の記事が急に増え、しかも内容がどれも似通っている。
「ひょっとして」と、大蔵省に電話をして尋ねた。「公共事業批判のキャンペーンをおやりになりましたか」と。
たとえ事実でも否定すると思いきや、「もちろんやりましたよ」の返事があっさり返ってきた。「マスコミにすぐ使える資料も提供しました」と。
公共事業批判の中で、災害への備えがおろそかになっているだけではない。既存の社会資本の補修も急がねば、危険な状態だ。
米国のミネアポリスで橋が崩落した惨事は記憶に新しいが、実は1980年代、米国では橋の崩落や道路の陥没が相次いだ。大恐慌後のニューディール政策で整備した社会資本が、その後の緊縮財政でろくな補修もされないまま耐用の限界を迎えたからである。
日本の社会資本の多くは高度成長期に整備したものだ。そろそろ耐用年数を超えようとしているが、予算が大幅に削減され、既存の社会資本の補修費用まで手が回らない。
危険な橋は全国に万を数えるそうだが、地方自治体は国よりさらに財政難だから、予算がないまま放置されている。耐用年数を過ぎているのは橋だけではない。日本は、1980年代の米国の轍を踏もうとしている。
日本は、公共事業が予算に占める比率も、GDPに占める比率も先進国の中でとびきり高い「土木国家」というのも財務省のキャンペーンだ。
しかし、日本の社会資本整備は、欧米先進国よりもずっと遅れて始められた。ローマ時代から上下水道を整備したり、道路網の整備が行われていた国とはわけが違う。
日本の公共事業が他の国に比べて割高なのは、事実である。しかし、そのすべてが談合・癒着や官の非効率のせいではない。日本の公共事業が高コストにならざるを得ない理由は他にもある。
日本は、人件費と地価が世界でもっとも高い国である。地形が複雑で、すぐにトンネルや鉄橋が必要になる。しかも地震国で、地震対策のためだけで工事費は1割から2割以上高くなるという。
さらに日本の高速道路は、借金でつくるから金利負担が巨額になる。平均的な財投金利を5・5%だったとすれば、1兆円が13年で2兆円に増えた計算だ。26年では4倍になり、40年なら8倍だ。日本の公共事業は、完成まで数十年かかる場合もめずらしくはない。
道路は借金を返すためにつくっている(としか思えない)。利用料で借金を返す「償還主義」をとっているから、料金が高すぎて利用者が少ない。利用者が少ないのでムダといわれ、いつまでも全線完成しないから、不便で利用者が増えず、借金もなかなか返せない、いつまでも料金は高いまま、という悪循環である。
つくった高速道路を使わないのは、これ以上ないムダである。利用者が少ないのは、料金が高すぎるからである。
借金の返済が終わった高速道路が無料にならず高いままなのは、料金収入を新しい道路の建設費にあてる「料金プール制」をとっているからだ。
しかし、欧米先進国では、国がつくる道路は借金や料金収入ではなく、税金でつくって、無料で提供するのが基本である。主としてガソリン税などを建設費にあてている。日本でいう「道路特定財源」である。一般財源から手当てされる場合もある。
高速道路から利便を受けるのは、その上を車で走る利用者ばかりではないからである。
高速道路のおかげで、地域の利便と安全が高まって、直接利用しない人にまでさまざまな恩恵がおよぶ。だからこそ、高速道路は社会資本と呼ばれ、他の国は税金でつくっているのだ。
財政のムダを省きたいなら、低いコストで社会資本を整備できる今こそ、絶好のチャンスである。
金利はゼロ金利といわれるほどに低く、地価は一時の何分の一にまで下がっている。これ以上低いコストで整備できるときは、そうめったにあるものではない。
しかも失業対策、景気対策、地域おこしにもなり、国民の生命と生活をまもる防災対策にもなるのだ。少子高齢化を控えているというなら、いまのうちに、必要な社会資本整備をできるだけ進めておくべきではないだろうか。
それなのに、一石五鳥にも六鳥にもなるチャンスをみすみす見逃したのである。見逃しただけではない。逆に削減したのだから、後世に申しわけの立たない大失敗だ。
財政最優先の政策が、どれほど国民に大きな損失を与え、生命を危険にさらしているかを思えば、ほとんど犯罪というべきである。
日本の公共事業が高すぎると言うなら、なおのこと、二度とないほど低コストでできるこのチャンスを見逃すべきではなかった。なぜ大幅削減だったのか。
大地震対策など必要な防災事業をきちんと選んで、効率的に行えば、景気対策にもなって、日本経済をここまで悪化させることもなかったし、税収がここまで落ち込むこともなかったのである。
『平成経済20年史』 紺谷典子
