(平成27年4月)安倍首相のアメリカ訪問は、日本がアメリカの属国であることを、より鮮明にした。
当たり前だが、アメリカの外交交渉は、自国の国益の追求の上に成り立っている。TPPを推進し、日本に軍事的負担を要求するのは、自国の利益の最大化を図っているからだ。
それを笑顔で受け入れ、外交上の大きな成果と胸を張るのは、奴隷根性以外の何ものでもない。
安倍首相は歴史認識についても、アメリカの意向に沿う発言に終始した。内容の是非はともかく、首相は自らの信念をまげて、アメリカの歴史観に追随した。現政権は、それ程までして、親分のアメリカに頭を撫でられたいようである。情けない。
そもそも現在の日米安保条約を改正せず、集団的自衛権を受け入れることは、日米安保の不平等条約化に他ならない。
これまでの日米関係では、アメリカには日本の防衛義務があるものの、日本にはアメリカの防衛義務はないとされてきた。いわゆる「片務性」という関係である。
この点だけを取れば、日本が有利な条件を獲得しているように見えるが、その代わりに地位協定を認め、基地を提供し、思いやり予算を供出している。
日本が主権の一部をアメリカに差し出すことで、屈辱的なバーターを行ってきたのだ。
しかし、現政権は「片務性」を「双務性」へと変更し、アメリカの対外政策を軍事的にサポートするという。そして、これを「日米の対等な関係」と説明している。いい加減に寝言は止めていただきたい。
もし日米の対等な関係が成立するのだとすれば、早々に日本全土に存在する米軍基地は、返還していただかなければならない。
辺野古への基地移設などとんでもない。思いやり予算は全面カット。地位協定は即刻廃止だ。そうでなければ、日米安保は歴然とした不平等条約になる。
しかし、政府から基地の返還などを求める声は聞かれない。
では、代わりにワシントンやグアムに自衛隊の基地を設置し、地位協定を認めるよう要求しているかと言えば、そのような動向は皆無である。
双務的な安全保障関係を進めながら、一方で日本の主権を譲渡し続けるということは、属国であることの証しである。保守という立場にある政治家が、喜んで属国化を推奨することに、戦後レジームの深刻さが現れている。
安倍首相は、「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にありえない」と述べているが、既にイラク戦争で、実質的にアメリカの戦争に巻き込まれている。
ホルムズ海峡での停戦前の機雷除去は、国際法上、明確な「戦争行為」であって、アメリカの対外戦争の下請けを行うことははっきりしている。
沖縄の国民同胞を永続的に犠牲にし、首都圏空域の大部分をアメリカ軍の管理下に差し出す日本は、そもそも国家として自立する気がないのだろう。
四月二十八日を日本の独立記念日にしようという運動があるが、まずは真の意味で現在の日本が独立しているかが問われるべきではないか。
保守勢力が自らの手でアメリカの属国化を進めるのは、喜劇以外の何ものでもない。
『表現者 平成27年7月号』 鳥兜 巻頭コラム