大阪市の自治解体を目指した「大阪都構想」は(平成27年)5月17日の住民投票によって、反対多数で否決された。
(中略)
大阪の自民、民主、公明、共産の各党は都構想に対して否定、反対を表明した。
一方、安倍首相や菅官房長官は、憲法改正に向けて維新との連携を視野に入れ、都構想に理解を示していたと報道されていた。
だが、そもそもこのような「数合わせ」で改憲の道すじを作ろうとするのは、大いに問題ありではないか。
来年の参院選後に改憲を発議するには、衆参各院で「三分の二」以上の賛成が必要であり、維新の協力が不可欠であるという理屈である。
しかし橋下徹なる政治家のパフォーマンスを見ればあきらかだが、その発想の根本にあるのは、既存の価値や組織を解体すれば何かが出て来るという、破壊主義者の性格である。
大阪都構想そのものが百年以上の歴史のある大阪市の仕組みを解体する、改革という名の破壊である。
二重行政の解消と言いながらも具体的な数字を確認すれば、解消どころかリスクが大きいことはすでに指摘されていた。
こうした「改革」妄想こそ、この二十年以上にわたりこの国から活力を奪い、いたずらな混乱と無秩序をもたらしてきたのは言うまでもない。
憲法改正が、もしこのような「改革」妄想と同じ次元でなされればどうなるのか。
もとよりGHQ占領下で作られたこの敗戦憲法は、日本人の魂を骨抜きにしたさまざまな占領政策の元凶であり、一日も早く改めなければならない。
しかし何のための改憲かの本質を押さえることなくただ改めればよい、というのは無謀と言うよりかは愚劣である。
日本人が真の自主独立の精神を取り戻し、この国の歴史と伝統の上に自主憲法を制定するためには、まずこの四半世紀つづいてきた伝統破壊や組織解体論とは真逆の意識に立ち戻る必要があろう。
つまり、日本の伝統や国体や、それを守るべき国防軍の在り方を明らかにする歴史の知恵と言葉によって、新憲法は作成されなければならない。目的と手段の順序を見誤ってはならない。
大阪都構想が賛成多数で成立し、橋下氏が中央政界へと躍り出て、そのデマゴギー政治を駆使しながら改憲勢力の一翼をになう。
そのときどんな“自主”憲法が発議されるのか。考えてみただけでも背筋が寒くなるというものだ。
『表現者 平成27年7月号』 鳥兜 巻頭コラム