「図説 ハプスブルク帝国」河出書房新社 | サーシャのひとり言

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ハプスブルク繋がりでもう一冊。
河出書房新社から出ている「ハプスブルク帝国」。
どちらかと言うと、昔授業で配られた「社会科資料集」的な感じの本で、これだけ読んで面白いか?と聞かれると若干?でした。
ですが、帝国の最後の時期、
✳️サラエヴォでの皇太子フランツ・フェルディナント大公(皇帝の甥)がセルビア人過激組織「黒い手」の手先とされる18歳の青年により暗殺され、オーストリアはセルビアに宣戦布告
オーストリアは当初、戦争を局地化しようと目論むも、既に形成されていた同盟網が連鎖反応を起こすようにして、戦争は拡大の一途を辿る。
そんな中、68年間統治したフランツ・ヨーゼフ1世が1916年に崩御。
元々ドイツはこの戦争を欧州における英仏との覇権争いと考えていたふしがあり、やがて中立国潜水艦への攻撃も開始。アメリカも参戦する中、オーストリアはドイツに引きずられるようにして深みにはまり単独講和のチャンスも逃してしまう。
連合国は当初、ハプスブルク帝国の解体を意図していた訳では無かったが、オーストリア軍部がドイツ軍部に完全に従属するに至った戦争末期になって初めて、ハプスブルク帝国の解体と王朝廃絶の方針を打ち立て、帝国諸民族の独立運動を促す事に。
最後の皇帝カール1世(フランツ・ヨーゼフの甥の子供。)が1918年の休戦協定後、退位すると、オーストリア共和国となり帝国は解体される。

✳️第一次世界大戦後、崩壊した帝国のあとには、ハンガリー王国、チェコスロバキア共和国、のちのユーゴスラビアなどが新生国家として樹立、地図から抹殺されていたポーランドも復活する。
しかし、その後、これらの新生国家はファシズムの嵐に巻き込まれ、深刻な民族対立、旧帝国のバックを失った弱体な経済力に苦しみ、
さらに第二次世界大戦後は大部分がソ連の衛星国として、ベルリンの壁の崩壊する頃までその鉄の支配に屈する事になる。

(本文より)
こうした現状からすれば、ハプスブルク帝国の解体は果たして賢明な解決であったかどうか、疑問なしとすることはできない。
旧ハプスブルク帝国が、数世紀に渡って多民族共存のための器としての役割を果たし、共存をより確かなものにするため、言語、行政面などでさまざまな試みを続けてきたことは否定し得ない事実である。
第一次世界大戦後連合国がこれを全面的に破壊したことは、複雑きわまる民族分布を持つ帝国の特殊性を十分に考慮していなかったからである。

そしてハプスブルク帝国の超民族的理念は、中欧から全ヨーロッパに拡大されこんにちの欧州統合への思想的原点である。


このあたりは、なるほど!と思いました。
ハプスブルク家と言うと一部の有名人ばかりに目がいっていた私ですが、多民族を抱えながら長きに渡って広大な帝国の統治がなされていたのは、もちろん色々問題点もあって、特にフランツ・ヨーゼフ1世の時代には各民族のナショナリズムの高まりなどの大きな揺れも起こりましたが、それでもある意味奇跡的な事に思えます。

写真や絵画の他、地図も多いので帝国の歴史の概略を知るにはいい本だと思います。











先日、中高の同級生でムーミンハウスを作っていた方と他の同級生も含めた6人でハウス完成祝賀会がありました。赤坂見附のスウェーデン料理のお店ストックホルム。
入り口にはダーラナホースの商品も置かれていて入った時からテンション⤴️⤴️⤴️

私は元々交友関係が広い方では無い(どころか狭い・・。中学4年やってる割には・・。😅)のですが、ムーミンハウスのご縁で卒業以来ぶりに再会できた方も居て・・
楽しい半日を過ごせてホントにムーミンには大大感謝!です。