8/22-23に宮城県丸森町へ出かけました。養蚕がうまくいくように、人々は神様に祈りました。これまでに多くの蚕影大神の絵や蚕神の石碑などをみてきましたが、丸森町には沢山の猫神さまがおられるとのこと。蚕の天敵、鼠を退治してくれるということから猫が大切にされたそうです。
隊長が大変な労力を使って調査してくれ、ぐるりと巡ってみることになりました。
猫碑に興味津々、丸森町を訪ねるのは初めてなのでどんなところかも楽しみです。
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丸森町には 多くの像または文字の線刻石碑と数基の丸彫像があります。どれもなかなか味わい深い、素敵なものです。古いものは文化7年、明治のものまで様々です。石の色も黄色っぽい物から青いもの赤いものなど 個性がありました。
これが文化7年の猫神様。
生き生きとした見返り猫神。
下調べをしていても、行ったらヤブに阻まれたり、場所がわかりずらかったり、道が細かったり 色々大変でしたが、意欲満々の隊長の先達のおかげで沢山訪ねることができました。
夏草踏む夫少年の背中して
宮城県は文字石碑が多いところですが、丸森町にも驚くほど沢山の文字碑が見られました。
蚕神の文字碑は多く見られました。
巳待塔もとてもたくさんありました。
足尾神社、青麻尊、雷神、山神などが数多くありました。その他、愛宕塔、蔵王、金華山、金剛山、二十三夜塔なども散見されました。
成田山もありました。
田沢湖の伝説がある八龍権現。
湯殿山、金毘羅大権現、弁財天、天照大神 などは大きな立派な石でいくつも建立されていました。
一代塔というのは丸森町だけにあるものだそうです。たくさん見られました。一代守本尊と関係あるのかな?
珍しいものとしては、鶴供養塔を2基見ました。
「200年前の江戸時代、丸森町には鶴が生息していたと言われ、鶴を狩猟し、伊達藩中島家に献上していたという歴史もあるそうです。仙台藩の記録から、当時、鶴は献上品としてや、病気治療の滋養薬など大変貴重なものとして食されていたと言われています。
猟師が丹頂鶴を撃ち、病になった際、地蔵様と供養碑を建てれば治ると言われ建立したと言われる「鶴供養碑」3基が今も丸森町大内地区で大切に受け継がれています。」(丸森町観光案内書HPより)
美しい馬頭観音も。
金剛経一時一石塚 天明3年飢饉の五十年忌供養碑 天保3年 というものも見ました。
弁財天
球状の大黒天。
子安観音はカンガルーのような形態のものが見られました。
そして、木製のお犬様もおられました。
H28年に修復されたのだそうです。
この狼は口を開けています。
良いものを見ることができました。
神殿の狼揃える後ろ脚
筆甫の最奥部付近の 以前は養蚕農家だったお宅で像の猫神様を見せていただき、美味しいスイカをごちそうになって、養蚕の話なども聞かせていただきました。ありがとうございました。
筆甫を走ると田畑は荒れ地になっていました。丸森町では地域復興の様々な試みを行っていますが、東日本大震災、高齢化や令和の水害などで苦労しておられるようです。
訪ねた家では 家の周りの農地では猿害がひどくて作物は作れず、町に近い畑まで行って野菜を作っているというお話でした。
別の目指す神社は手前の家が廃屋になって、道もなくなりたどり着けなくなっていました。
丸森の町にはこんな記念碑もありました。
復興トラックが列をなして行き来し 護岸工事・橋の工事などが進められていました。活気の
ある町が復興するよう応援したいと思いました。
のびのびとオモダカ群れし荒廃田
こんな物もありました。石宇水道碑 びっしりと漢字が並んでいます。解読する力があれば、面白いのだろうけど。
雉子尾川の石宇用水道を作ったときの記録か?明治のもののようでした。
古墳群迷いて灯るミズギボシ