両国へお出かけ~北斎美術館と回向院と両国橋 | いつもお腹ペコペコランナー

6/25に両国の北斎美術館へ行きました。

 

今年のお正月、小布施で富士越龍を見て気合が入りました。また北斎画を見たくなって、両国のすみだ北斎美術館へ行きました。 

 

両国駅から美術館までの道に北斎画がいっぱい。両国の賑わいが描かれています。

絵本隅田川 両岸一覧(中巻)

 

両国橋夕涼花火見物之図

 

風流隅田川八景 両国の夕照

 

両国夕涼

 

富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見

 

さて美術館。

 

北斎の浪の絵がこうなるまでの過程について、北斎画や影響を与えたと思われる他の画家の絵なども並べて考察されていました。90年間の熱意の爆発です。

 

 

素敵な時間を過ごせました。

 

 

回向院へも行きました。

明暦の大火のあった明暦3年、幕命により災害で亡くなられた無縁の方々を葬った万人塚が 回向院の始まりだそうです。

江戸勧進相撲の開催場所は天保4年から回向院に定められ、以後明治42年に国技館ができるまで

江戸相撲はここで行われていたんですって。

 

歌川広重の東都名所 両国回向院境内全図 

真ん中の巨大なよしず張りの小屋が相撲小屋、右の櫓は相撲櫓だそうです。

歌川国芳の勧進大相撲土俵入之図

すごい観客数ですね。3階席まであります。

 

境内には色々な石造物があります。

力塚は歴代相撲年寄の慰霊の碑だそうです。

 

お相撲さんならこんな力石も持ち上がるのか?

 

アジサイの陰に観音様。

 

回向院は様々な災害の被害者を弔う寺院となり、多くの供養塔などが建てられています。

 

関東大震災の供養塔

 

天明3年の浅間山噴火の供養塔

 

寛政元年の海難供養塔 帆掛け船の形をして、波が刻まれています。三河の船乗りさん達の供養塔のようです。

 

安政4年 紀州の物流船の船員の供養塔 

 

亀趺に乗った墓石がありました。井田長秀は易学者だそうです。

 

革工中?でしょうか。明治8年の無縁の塔

 

寛文4年の笠付石塔。阿弥陀如来 観音が刻まれています。

 

この無縁塔は 錦絵職人中の建立

 

出羽 庄内 の日本廻国供養塔もありました。

 

 

お猿もいました。頭上に邪鬼とそれを踏む足があるようにも見える、庚申塔の台座だったのか?

 

塩地蔵

 

 

 

両国橋を見ずに帰るわけにはいきません。両国橋には色々な浮世絵付きの案内板がありました。

隅田川は水量も多く、両国橋のあたりは湾曲が強いため 川岸の侵食を防ぐためにたくさんの杭が打たれ 百本杭とよばれていたそうです。

豊原国周 百本杭の場

 

現在の両国橋。

 

すぐ横には首都高が隅田川を渡っています。

 

お江戸にはたくさん面白い物があるようです。橋巡りも楽しそう。

 

 

 

          北斎画四角五角の滝飛沫