それでも断捨離は続いていく | peggy's diary

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当初は婚活ブログとして婚活のこと、趣味、仕事、日々の暮らしを書いていましたが、現在は結婚して結婚生活のこと、飼い始めた猫のことはインスタから、仕事のことを書いています。銀行から士業事務所に転職もしたのでそのことも書いています。

もうスキャンするものがないんじゃないかってくらい、夜な夜なスキャンしまくりました。だいぶ断捨離したと思っていましたが、全然でした。でもちょこっとよりも、手ばなす量が大量にあると、やりきった感も大きいですよね。それ自体は断捨離の目的ではないですけれども…


ミニマリストの方みたいに、引っ越しするときに引っ越し屋さんに頼まなくても、自分で移動できちゃうみたいなのが本当は憧れますが、環境も生活も違うので、それは難しいのかもしれませんが、でも近づけることはできるかなって思っています。だからこそ、日々自分のものを見て、なにか減らせないかって思っているのだと思います。それって病的かもとは自分でも思うのですが…


スキャンしまくって、あぁもうスキャンするものもいい加減ないから、今度は書類じゃなくて、もののほうを処分していかないとなと思って、毎日自分のものだけがある廊下の棚を開けたり閉めたり。配置を少し変えてみたり、中身を出して、またしまったり。そんなことを繰り返して、また書類のスキャンを始めました。はじめるだけの書類があったということは、まだ断捨離は終わらないということです。


ものが溢れていたころも、もちろん、手ばなすのが苦しかったのですが、ものが減っても、手ばなすのが大変なのは、あまり変わらなかったです。これは自分でも想定外でした。手ばなせるようになったら、ばすばす処分できるものだと思っていました。ただ、以前よりは手ばなす決心は早くできるようになったとは思います。そして、あれも手ばなせたんだから、これも手ばなせるよねって思えるものも増えました。この法則に則ることができないものももちろんあります。


今日は銀行員時代取得を促された通信講座の修了証をスキャンして処分しました。たぶんどこにも見せることはないだりうと判断できたからです。銀行業務検定とか金融業務能力検定も、今はCBTとかが主流になっているのでしょうか?認定証とか合格証が紙の時代に取得したものは、たぶん必要ない成績表も含めて今回はそのまま保管することにしました。


やましたひでこさんのインタビューのなかに、『書類はわたしたちの足りないものを補ってくれる存在』っていうのを見つけて、めちゃくちゃしっくりきました。そして、その書類に頼らなくても、自分の足でしっかり立とうと同時に思えました。それがエンジンになったところもあるかもしれません。


【もう二度と発行できない書類、原本が必要な書類】以外はスキャンしててばなしていい。これは、さまざまなところで言われていますし、スキャンし続けて、本当にそうだなと思いました。スキャンできてしまうと、なぜこんな簡単なルールにしたがえなかったのかと不思議に思えるくらいです。というわけで、わたしが今保有している書類は、税金の領収書と通知書、資格取得の合格証や賞状、転職したときに取得した離職票と雇用被保険者証いくつか、ねんきん定期便と年金手帳、銀行を退職したときに送付されてきたもう再発行できない支払の証明書系、マイナンバー申請関係、結婚した時の関係書類となりました。数えられるだけになってちょっと嬉しいです。


離職票も本当はもう必要ないでしょうし、税金の通知書も払い終わったものはもう大丈夫なのかもと思うのですが、正社員ではないという不安が、これからも正社員じゃないかもしれないという不安が、残させる。資格の証明書も、過去の努力の証だからと取っておきたいと思わせるのも、これからまた金融系に勤めるかもしれないからと不安からの可能性なのかな。こうやって、断捨離していると、自分の弱さをまざまざと見せつけられて、向き合うことになります。乗り越えられることもありますが、弱いという事実を認識して、それで終わってしまうこともあります。でもまたその機会はくると思って、モヤモヤしたとしても、あまり気にしないようにします。