「苦手」だと言っている子に、「はっ!」とさせる言葉がけ。 | ペガサス世田谷経堂教室のブログ 不登校を経験した先生が、子どもの自発性の育成に取組む塾

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10代の時に、勉強が楽しくなくなって不登校になった経験から、何のために勉強するのか、と向き合う場が必要なのではと考えました。
子供たちの「学力」はもちろん、「自ら考え、自発的に行動する力」を育てる塾の様子を書いています。

間違うとか、分からないとか。

 

いろんな問題と向き合った時に、誰しも起こり得ることです。

どんなに考えても、答えにどり着かない。

だってこんな問題、まだ学校でも塾でも見たことないし。

そんな時に、

「できないのは、ダメなことなんだ」

「やっぱり自分にはできない」

という思考回路に繋がりやすいのが、いわゆる自分は「苦手」だという意識を持っている人です。

 

何度やってもダメ。

やっぱり間違ってしまう。

子供の家での勉強の様子や、返ってきたテストを見て、周り(大人)が子供に対してそう思うこともあると思います。

 

私は、できなかった、とか、間違えてしまったとか、そのような言葉をいろんな子から聞く機会は、まぁ多い方だと思います。

そういう言葉を聞くたびに、大抵こう返しています。

「で?」

と。

 

「ふーん、そっか」

という感じです。

自分で書きながら、なんともまぁ冷たい言葉に聞こえるのですが・・・。

 

できなかったっていう、過去のことはもう変えられないからです。

テストで赤点だった(中学まで赤点はないですが)っていうのも、もう終わったことです。

 

終わったことに対して、「どうしてできないの」って怒ってみても「やっぱりダメだったか」と一緒に悲しんでも、変わらないからです。

 

こんな風に書いてしまうと、

他人事なんですか!?

と怒られてしまいそうですね。

 

でもそうではなくて、もっと冷静に、どうしてダメなのか考えてみましょう。

ということを子供達には求めます。

 

どうして、解けなかったのか。

テスト明けだと、学校で解説があったりするので、

「こういう風に習ったから・・・」

と説明してくれる子もいます。

 

なるほど、解き方がわかればいいのか、というと、私はそこも求めていません。

解き方がわかればOKなんていう表面的な話をしたいのではないです。

なぜなら、その問題の解き方が1問出来る様になればいい、という話ではないと思っているからです。

 

どうして間違えるのか、

どうして解けないのか、

を知るためには、出来る人が

 

どう考えているのか

何に注目してるのか

自分と違う(または足りない)視点は何なのか

 

を知ることだと思っています。

 

 

できなくて落ち込んでいる子に、解き方の前に、どんな視点で解くのかという、そもそもの考え方を伝えます。

 

「できなくて、落ち込んでる場合じゃないよ、私の視点と自分の視点でどこが違うか考えながら、話を聞くんだよ」

といつも伝えます。

 

できない問題の解き方よりも、どう考えるのかという視点をここに勉強しに来てるんだよ。と。

 

解き方を、手順を覚えるためにこの場に来ているのではなくて、自分に何が足りないかを一つでもモノにして欲しいと思っています。

 

特に理系で応用が効かない人は、応用問題の練習量が足りないことよりも、基礎ができていないことが多いです。

基礎ができている、とは、教科書をなぞるだけでなく、自分の言葉にできているか、ということです。

 

「自分の視点と違うところはどこか、分かる?」

と聞くと大抵、はっ!とします。

解き方の手順を覚える、のではなく、どうしたら解けるようになるのかを考え始めてくれます。

 

できなかった、というのはすでに過去のことです。

じゃあ今後、どうすれば出来るようにるのか、考えながら取り組む習慣がつくと、少しつづ苦手意識がなくなるのではないかと思っています。