本日は休日でございます。
冬で寒いせいか 少し背中が丸くなって
猫背気味の状態が癖になりつつござーます。
そこで 背骨・胸郭矯正ギブス?を装着しての投稿でございます。
人の特質は個人で違い 引き出し方・活かし方もまた個人で変わってきたりするのではないでしょうか。
私の志事場では 志事柄いろいろな親と子の繋がり方を観察する事が出来る。
先日も こんなことがありました。
母親と一緒に買い物に来た男の子がいました。
広い空間で 親子は別々の場所で行動をしていました。
子供の特性 好奇心がエスカレーターを捉えました。
エスカレーターで遊びだすのは時間の問題で
元気にエスカレーターで上がったり下りたりを同じ1つのエスカレーターで始めました
やがて 2階まで登り切ったところで その男の子は 手すりや壁のヘリに体を
ぶつけながら1階へ転落いたしました。
救急隊は呼んだものだが
さすが子供 身体が柔らかったのか状況と鈍い転落音に比べ
身体へのダメージは大したものではありました
泣いてはいましたが 特に頭を打っている様子も見られず
精密検査は必要ではあるが 「ちんこ」 が痛い痛いと喚いている
子供の携帯を借りて 何処かに居る母親に転落して子供が苦しんでる旨を伝える
しかし 母親は買い物が忙しいようだった。
じゃあ行きますと言いつつ 中々現れない 父親の方にも連絡を入れる。
父親はこの事態を緊急と捉え 会社を抜けてくるという。
実際の現場は 救急隊もいるせいで人盛りは出来ているもの一刻を争うほどの状況ではなかった。
しかし 電話という現場の見えない声だけの状況で判断しなければならない
親達 1人はそれを深刻とは捉えず買い物を続ける 1人は一目散に志事を抜け出しすぐさま現場へ急ぐ 同じ情報でも人により受け取り方が随分違ってくる。
救急車に乗り込むとき ようやく買い物袋を抱えた母親が駆けつけ 身の心配の前にエスカレーターで遊んだ事で子供を叱りつける この教育方針に私はいろいろと考えさせられた。
その後 家庭で2人の親がどんな話し合いをしたかはわからない・・・
広い食料品売り場では 毎日繰り広げられる光景
駄々をこねる子供を 親が宥めたり叱ったりするシーン
これもさまざまな事を観察させてくれる。
最も印象に残っている1つにこんなことがあった。
駄々をこねる男の子がいる 母親はそこにこんな対応で対処した
「パシッ!」と物凄い勢いで平手で張倒した。その後 こう大声で説教した
「もう あんたなんかウチの子じゃない!あんたなんか生まなきゃよかった!」
さすがの男の子も効いたようでおとなしくなった。
叱りの平手と存在価値否定の言葉による2段攻撃
効かないわけがないのではないでしょうか?
どちらの 叱りがより効いたのでしょうか?
それぞれの家庭、それぞれの親により躾け・教育方針は違うと思いますが
この例では 張り手と罵声はこの子の特性に合わせた適切なものだったのでしょうか?
平手と言葉に愛情を乗せ 後のフォローを丁寧に神経を使うものであったかもしれない。
あるいは 親も人 子育てやストレスなどの疲れで衝動的にしているのかもしれない。
「三つ子の魂百まで」とか
「子供の時虐待を受けて育った子供は 親になって虐待をするようになる例も少なくない」ということをよくいろいろな分野で聞いたりする。
時に言葉は物凄い 力を持ったりする 肉体へのダメージよりよっぽど恐ろしいダメージを与えたりする。
それが 幼少なら尚更 その後の人生に影響を与えかねないほどに精神の奥底に眠って 時折ムクッと蛇のように頭をもたげてその人の動きを支配したりする。
私は 駄々をこねて周囲を困らせる子供を黙らせるのに 強烈な言葉と圧倒的な力でねじ伏せるのも虐待に価しなければ 子供それぞれでこの子の特性に合っていれば こちらが家庭の事情に口出しすることは できないとは思うが・・・手っ取り早いし・・・・
この例では 言葉の内容に行き過ぎがあるのではと思える。
伝統的な躾けとして平手も躾けで ただの暴力でなく
世の中の理をわからせるためにと信念を持って行っている家庭もあるとは思うが
鼓膜への間違っての怪我などのリスクもともなう事・しっかりとしたアフターフォローがないと恐怖での支配と変わらなくなってしまう。
基本的に暴力の生み出すもので 情操的なものはあまり多くはないと思っている。
この子が家に帰ってから 楽しく愛情を感じられ続けていることを祈っている。
「最後まで読んで頂き感謝 合掌」 佐藤英彦