息子の音声をお届けいたします。
宇宙語喋っています。
では、どうぞ。
はい、今回は〜
宇宙語をね、喋りたいと思います。
$%&'()0~`PL<>`*OL>~{}_=`*{}|
}'(IJNMLO=~{}@:;/_:[^^^@[^^]
^=0)(UJK+`=^[];p9i@::;@:p;@:[
はい、では〜訳します。
これはね〜、宇宙の....
ま〜、なんていうんだ??
P「ん?」
........な、なんだ??........
お祈りする人??
P「ふ〜ん」
ま〜ね、護ってくれる.....
その神さま。
で、訳す言葉は、
みんなは、絶対ね
やりたくないことはやっちゃダメ
って。
絶対!やりたいことをやりなさい
って。
やりたくないことをやれば、
闇が増えるだけ。
自分がやりたいことをやらなければ
また、闇が増えるだけ。
だから、もう〜
絶対にイヤなことはやらないで、って。
P「はい」
あ、とにかく
闇を増やさないで、って。
闇が出なければ
それでイイけど。
闇が出なければイイ。
でも
闇が出たとしても
レインボーになっていれば大丈夫。
P「変えれば。」
変えれば。
P「闇出しして」
(闇をレインボーに変える)
だから、もう〜
絶対に!!
楽しいことしかしないで
って言ってました。
P「はい」
はい。
P「大人はどうしましょうか」
大人は?
P「大人こそ?w楽しいことを。」
大人こそね〜まぁ〜大人は絶対ね。
大人はね〜、ね♡
P「子どもは心配いらないんでしょ?」
子ども
心配いらない!!
大人も自由に過ごせばイイと思います。
P「はい。そうしましょ」
はい、
ではまた次の動画でお会いしましょう♪
さようなら♪バイバイ♪
やりたくないことは
やらなくてイイ
と聞いて、
どのような反応が起こりますか?
反発、抵抗.....モヤモヤ....失笑、諦め
恐怖、不安
「そうは言ってもね〜」といった
さまざまな反応が起きると思います。
人間は、
本気で100%
『やりたくないこと』は、
やらないはずなんです。
過失割合的に十ゼロの案件に限り
ですけども。
自分が
『やりたくない』と思っていることを
『やらなければならない』とするとき、
人間は、必ず
【やる】【やらない】を天秤にかけます。
『やりたくない』と思っているのに
【やる】を選択したのは、
なんと!!
5.5対4.5....ぐらいで
【やる】が勝ったから
やっているのです。
上司に頼まれた仕事を
『やりたくない』が、
『評価が下がる』方がイヤだから
【やる】が勝った。
義母の介護は、
『やりたくない』が
世間の目、嫁のプライド、
「人としてどうなの?」という自責、
夫から言われる嫌味の方がイヤだから
【やる】が勝ってしまった。
保護者会へ
『行きたくない』が
他のママさん方や先生になんて思われるか、
責任感のない親と思われたくないから
【出席】が勝ってしまった。
このように、
『やりたくないこと』をやるのは、
5.5対4.5....
いや、
5.1対4.9......
[0.2]という僅差ではあるけれど、
残念ながら、
【やる】が勝ったからなんです。
つまり、
自分で選択している。
非常に受け入れがたい案件でありますけども
それを少しだけでも認められたら
息子が話す、
【やりたくないことは
やらなくてイイ】
...が腑に落ちるかもしれません。
『やらされてる』んじゃないんだ
自分で『やっている』んだ、
と気づくと、
なぜだか【闇】が出ない。
闇が出なければ
それでイイけど。
闇が出なければイイ。
『やらなければならないこと』とは、
まさに幻想であるけれど、
自我(エゴ)には
一生理解することができません。
自我は、
『やること』がお仕事なので、
『やらない』『何もしない』とは、
自我にとって最大級の恐怖で
死に値する。
『やること』がお仕事なのに
何もやらないなんて
『私の存在意義が〜....』
と泣いてしまうから
私が!私が!!
私がやらねば誰がやる??
とグイグイに
存在アピールしてくるのです。
大物観念、
【私がやらなけいといけない】観念
......のせいで。
▼▼▼
「わたしがしっかり!
やらないといけない」観念を
ぎゅっと握りしめていれば、
「わたしがもっとしっかり!
ちゃんとやらないといけない」
と思わされるような現象が起きてくる。
わたしは、
『やらなければならないこと』
を前にしたら、
とりあえず一呼吸、
止まるようにしています。
「これはやってもいいし、
やらなくてもいいんだよな」
と自覚する、
というかなんていうか。
【やる】のは、
自分が選んだからなのだなと
己を納得させてから、
その
『やらなければならないこと』
に着手するようにします。
(忘れることもある)
時によっては、
『やらない』を選択することもあります。
『やらない』を選んだあとの展開は、
これまた興味深いです。
【やる】としても無意識に
イヤイヤやるのではなく、
それに気づいていると
闇は出ないんです。
ちなみに、
『私がやらねば誰がやる?』な事柄を
『わたしがやらなくてもイイ』
と宣言してみる。
というか、許可してみる。
すると、
ワラワラと出てくるもの(闇)が
あるかと思います。
罪悪感やら世間体とか
嫌われたくない、とか
恐怖、不安.......イロイロ。
それを闇出しして、
解放していくとなにが起こるのか。
とってもオモシロいことが
起きるかもしれませんよ。
【やりたくないこと】は、
はじめからやっていなかった。
他者から
『やらされている』のではなかった。
【やりたくないこと】を自分で
『やらねばならないこと』に変換し、
自分で選んでいることを
すっかり忘れているだけだった。
ならば、
自分で選択していることを思い出そう。
すると、
「なんで?自分だけ.....」
という被害者意識が消える。
『何かをやること』
それが
【やりたい】とか【やりたくない】は
なにも関係なくて、
この際、どうでもよくて.....
そこに湧き上がる
葛藤とか摩擦といった
不調和的な思いを和らげることが
大事なのかと思います。
己を一致させること。
過去にも
息子,6歳後半ごろ、
【やりたいこと】だけやって
【やりたくないこと】はやらない、
と語っていて、
何か行動を起こすとき、
神さまと繋がってから行動してね
と話していました。
ズレたままイライラしながら
イヤイヤ行動しないこと。
▼▼▼
上記事で
「人生は実験」と話す息子ですが、
実験って『実体験』か〜、
と今更ながら気づきました。
地球で経験することは全て
地球にくる前に
自分に必要なものとして持参してくる。
だから、
全ての経験(実験)は、
自分にとって必要な経験だ
.......そうです。
最後に、
またまた息子へのお祝いコメント
ありがとうございました。
はなちかちゃん
ともさんちゃん(芋も好きです)
若葉ちゃん
kummmikummmiちゃん
心より感謝いたします♡
今日は以上です。
ありがとうございました。