今の定期さんと会って、今年の夏で1年半になります。
2人で一日中遊んだりお出かけしたり、沖縄にお泊り旅行に行ったりと毎週のように遊んでいますが、いつも楽しい時間です。
何か特別なことをしなくても、ベッドで抱きしめ合っているだけでそれは特別な時間になります。
恋人のように愛の言葉を囁き合う訳ではありませんが、他愛のない話をするだけで十分です。
顔を見つめているだけで幸せな気持ちになりますし、笑ってくれたり喜んでくれたら嬉しい気持ちになります。
その中で感じたことはこれ以上の人はいないということでした。
それでもたまにサイトを覗いたりもするのですが、顔合わせする気持ちというのがなくなってきており、それよりも今の関係を大切にすべきだと感じるようになりました。
多くのPJさんがサイトには登録していますしその数も増えてきたと思いますが、無数の出会いの中から価値のあるものを見つけ出すことはとても難しいことです。
最初は分散の気持ちもありましたが、私にとって分散は単に疲れるだけのことだったようです。
今の関係が終わっても次があるとは考えられなくなりました。
出会いがパパ活でもお手当ありでも、最後は人間と人間としてお互いを尊重できる関係が終着点と考えてます。
ということで、そろそろパパ活からの卒業を考えております。
今の関係が永遠だとは思いませんが、永遠になるように大切にしていきます。
更新頻度はかなり落ちます。
吉野家が「生娘をシャブ漬け」発言で炎上していますね。
常務取締役企画本部長ほどのポジションの人がこういう発言を問題だと思わずにしてしまうのは、偉くなりすぎてしまった弊害でしょう。
この表現は突然生まれたのではなく、社内では飲みの席など含めて常態化しており、本人としては小粋なジョークというつもりで悪気なく発言したのだと思われます。
本部長は若い女性をターゲットにしたマーケティング施策を「生娘をシャブ漬け戦略」と表現し、「田舎から出てきた右も左も分からない女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対食べない」と説明
さて、とはいえ「田舎から出てきた右も左も分からない女の子を無垢・生娘のうちにパパ中毒にする」というのはパパ活市場でも行われていることです。
田舎から出てきた、はあくまでも例えで「まだそれほど知識や経験を持っていない女の子」をうまく落としていくのは「世間知らずのJDや若い子」を狙っているパパの戦略に通じるところがあります。
若ければそこまで高級なご飯やホテルでなくても感動してくれますし、うまく刷り込みをして懐柔できると考えられるからです。
社会人経験がある女性はしっかりしていることが多く価値観も形成されていますが、若い女性ほどその率は下がっていくというのは事実としてあるでしょう。(女性蔑視の意味はなく、あくまでも傾向の話です)
もちろん、こういうパパだけではありませんが、効果的な戦略である故に利用するパパはいるということです。
例えば、PJが他のパパから高い飯やプレゼントをもらうのを避けるために定期でお互い1人と約束したり、アプリや交際クラブを退会するように勧めたりということは普通に行われていますよね。
こうして未成熟なうちに囲い込むというのはマーケティング戦略としては間違っていないどころか有効な手段です。
牛丼でいえば高価で美味しい食事の味を覚える前の若い子に牛丼の味を刷り込んでしまえということですからね。
そうすれば、若い子は「美味しい、美味しい」と吉野家に通ってくれるし、それで満足もしてくれるという戦略です。
さて、ここで思い返さなければならないのは、PJさんはパパにとっての道具ではないということです。
同様に牛丼屋の顧客も利益を得るためだけに存在している愚かな消費者ではありません。
効果的な戦略というのは知らず知らずのうちに相手を見下したり愚かだと感じるようにしてしまう効果があります。
牛丼でいえば、「育ち盛りの学生に安くて美味い牛丼を提供してあげたい」と思っていたはずが、「世間知らずの田舎者が美食を覚える前に牛丼の味を覚えさせて中毒にさせてやれ」という邪悪な思考に染まってしまうわけです。
これと同じように最初は「PJさんと対等な関係を築きたい、人間として尊敬したい」と考えていたパパが様々なやりとりを通じて効果的な手段を講じるようになると「大人会が盛り上がらないからもう無し」「もっと良いPJが現れたしとりあえずキープ」「他にパパもできたようだし優先順位低いな」などと考えるようになってしまいます。
PJ側だって同じで最初は「優しいパパ」と思っていたのに上手いおねだりを覚えた後は、「エッチが下手」「金払いが悪い」「LINEがしつこい」などと感じるようになることがあるはずです。
こうした相手を軽んじる気持ちというのは誰の中にもあって、知らない間に自分の心を蝕むことがよくあります。
知らないうちに自分の発言がPJさんを軽んじるものになっていないか、そういう気づきと学びのある事件と言えるでしょう。
