1975 | がらくた通り3丁目

がらくた通り3丁目

人にとってはまるで無価値。それも一個人の形成には不可欠。自我の源泉をたどる旅。おつきあい頂けたら幸いです。

心臓の鼓動が聞こえる
ドクン、ドクン、ドクン
Speak to meだ。
それから狂気にみちた叫び声
Breatheにつながる。

ピンク・フロイドの名盤「狂気」は
こうやって幕があがる。
人生とは墓場への競走なのだという
メッセージで始まる狂気。

命に限ったことでない。
永遠のものなんて何も存在しない。
現状が辛くてもずっと同じってことはありえない。
辛さはいずれは死ぬ運命。
辛さが死んだあとは喜びが生まれる。

陽は昇るのは夜があるからなんだろう。

最近というかここ数年の間に
馴染みの有名人が
どんどんお亡くなりになってる。
つい先日もチャック・ベリーが。

90歳だから大往生なのかな?

かまやつ1
かまやつ2

チャック・ベリーといえば
キースリチャーズと共演した
映画を思い出すくらい。
ヘイル!ヘイル!ロックンロールだったっけ?
繁忙期も過ぎ仕事が暇な時
会社さぼって映画館の大画面で見た記憶がある。

生まれたからにはいつかは死ぬ。
辛いけど厳しい自然の摂理。

僕の繁忙期の間
かまやつひろしさんが
お亡くなりになった。

かまやつ3
かまやつ4

特別ファンだったってことはなかったが
僕が音楽に興味を持つきっかけがフォーク。
1975年だった。

この年にヒットした曲といえば
風の「22歳の別れ」
ユーミンの「あの日に帰りたい」
かまやつさんの「我が良き友よ」

この三曲の中の一曲だったわけだから
印象深いのだ。
そしてこの曲吉田拓郎さんが書いた曲。

フォークというジャンルの
この三曲のヒットにはある布石があった。

前年に拓郎さんが森進一さんに書いた
「襟裳岬」が大ヒットしたのだ。
日本の音楽のメインストリームにある歌謡曲
ここにフォークという
アンダーグラウンドなフォーマットが
殴り込みをかけたのである。
そしてメインストリームを
食ってしまったのだ。

年末のレコード大賞の授賞式。
森進一さんがこの曲で大賞を受賞。
作者として拓郎さんの名前が呼ばれる。
全員正装姿の中をかき分けるようにして
場違いなジーンズ姿の拓郎さんが
ステージに上がる。
痛快だった。
フォークが市民権を獲得したのだ。

ヒットに恵まれなかったかまやつさんが
そんな拓郎さんにお願いしてできたのが
「我が良き友よ」

かまやつさんは拓郎さんのラジオ番組にも
よくゲスト出演したりしてました。
昔からカツラ疑惑があったかまやつさん
拓郎さんに頭ゆがんでるよとか
よくイジられてたけど
いつもニコニコしていたな〜。

拓郎さんが次男タイプなら
かまやつさんは長男タイプなのかな?
寛容な器が
拓郎さんには心地良かったのかな?
そんなかまやつさんが
お亡くなりになった。

自分の記憶の中のかまやつさんは
いつも笑顔

僕も人の思い出の中ではいつも笑顔でいたい。