


▲チープ・トリックの記事を集めてみました。最上段とその下は1980年9月発行の「INROCK」。表紙はデュラン・デュランが影響を受けたという「Japan」のデヴィッド・シルビアン。チープ・トリックのイラストがカワイイ!最下段は先日ご紹介させていただいた「MUSICLIFE」1980年11月号。135ページにベースのトム・ピーターソン脱退の囲み記事が






▲「Guitar life」1976年夏号ではビートルズ特集の他にマーチン特集。名器D-28をD-45タイプに改造するなんてありえない!(下から2段目)。アメリカ建国200年記念ギター「D-76」は32歳まで過ごした僕の故郷、札幌から車で1時間ほど離れた岩見沢の楽器屋さんのショーウインドーにも1976年当時飾られていました。価格は76万円でした。この楽器屋さん、海外ブランドのギターは一台も取り扱っていなかったのに、なぜこのモデルだけ?今でも思い出す度にナゾ???
ポール・サイモンのプレイも
マスターしながら
ビートルズの「ブラックバード」
「マザー・ネーチャーズ・サン」など
ひととおり覚えたころ、
ジョン・レノン暗殺のニュース。
ビックリ仰天!
遺作となった「ダブル・ファンタジー」は
確かクィーンの「愛という名の欲望」に触発されて
製作されたと聞いたことがあります。
「アイム・ルージング・ユー」では
チープ・トリックも関わっていたようです。
残念ながら彼らのバージョンは
このアルバムには収録されなかったようですが。
テレビもラジオもビートルズ一色。
僕もこの頃から次第に
興味の対象がアコギから離れだします。
翌年、
スターズ・オン45の「ビートルズ・メドレー」も大ヒット。
本人達そっくりの演奏と歌。
本人達以上に上手だと話題にもなりました。
続編も出ましたね。
それに対抗するかのように
本家ビートルズも
「ビートルズ・ムービー・メドレー」をリリース。
面白いところで日本でもアルフィーが偽名で
「吉田拓郎メドレー」リリースしたり。
唐突ですが
東京に嫁いだ親戚のおばさんの言葉を
思いだしました。
ある日
「pecobroちゃん、ビートルズ好きなの?
3年位前に軽井沢の喫茶店で
ジョン・レノンを見たことあるよ」
「別に普通の人と変わらない振る舞いだったわ」
「そうそう、オノ・ヨーコさんと一緒に」
「赤ん坊もいたわ」
僕は驚きつつも
このおばさんが羨ましくて嫉妬してしまいました。
サインのひとつでも貰ってほしかった。
1981年頃にはカルチャー・クラブや
デュラン・デュランが人気者に。
カルチャー・クラブの
「カラー・バイ・ナンバーズ」は
大瀧詠一さんの「A LONG VACATION」とともに
一家に1枚的なアルバムとなるほど大ヒット。
デュラン・デュランは
「プラネット・アース」を聞いた時
カッコイイ!と思いましたが
その後アイドル的な扱いとなり
「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」で
頂点に上り詰めた印象です。
しかしそこに嫌気がさし
聞かなくなりました。
そんな先入観のない今聞くと
ただただカッコイイ!
ベースのジョン・テイラーは
イケメンのくせにテクニックもある。
現在ギターのアンディ・テイラーが
脱退してしまっているのが残念。
彼はギターがただ上手なだけでなく、
曲にあったリフとかメロディを奏でる
大好きなタイプのギタリスト。
1980年代半ばには
セックス・ピストルズのギタリスト
スティーヴ・ジョーンズとコラボします。
しかしなんだか世の中すべて、
上辺ばかりの華やかさばかりが
目につきだします。
ビートルズは素晴らしい。
今でもそれは変わらない。
だけどもっと激しい音楽に出会いたい
そう思っていた時
あるバンドのドラマーだった
S君に「天国への階段」のギター覚えたいから
コピーしてくれないかと頼まれる。
「天国への階段」といえば
数年前O君が僕に聞かせた
レッド・ツェッペリンのあの曲。
レコードに針を落とした瞬間、
アコギでのイントロが始まる。
この全体を包む渇いた空気感は
サウンド・トラック「永遠の歌」とは
まったく違う。
このアルバムの硬質な空気感に
ちょっとした衝撃を覚えました。
アコースティックな曲で
静かな曲にありがちな湿度がこの曲にはない。
激しい音楽に出会うきっかけではあったのですが
ハード・ロックという言葉の響きに
まだ抵抗感を持っていた僕は
この曲のコピーという行為までしか
到達できませんでした。
しかし僕の固定観念を覆す事件が数日後に起きました。
〈つづく〉
スターズ・オン45の「ビートルズ・メドレー」
「ビートルズ・メドレー」続編
でもこれは僕が聞いていたのとちょっと違うような…。
記憶では続編は確か「Good Day Sunshine」スタートだったと思います。
別バージョンかな?僕の勘違い?