

▲「天才ギタリスト・シリーズ~JIMMY PAGE」表紙と165ページから3ページにわたるジミー・ペイジのレコーディング技術に対する成毛氏の興味深い見解の一部を抜粋













▲以前「箱根アフロディーテのピンク・フロイド」の記事でご紹介させていただいた1971年10月号の「ライト・ミュージック」44ページから4ページにわたり、実際に海外に渡った時の成毛氏の目を通した当時の海外の音楽シーンについて寄稿している
成毛滋というお方、
2007年にお亡くなりになりましたが、
かつては、日本のジミー・ペイジと呼ばれてました。
顔はぜんぜん似てませんが。
昔、高中正義さんや、つのだヒロさん、柳ジョージさんとも
バンドを組んだこともありました。
そんなすご腕の人達の中にあって
常にギターのポジションをキープしていたのですから、
その腕前も窺えると思います。
その後、彼はキーボーディストに転向。
彼はキーボードも天才的なのです。
キーボードを弾きながら
同時にギターも弾くという離れ業を
70年代初期か半ばにやってのけます。
先にあげたお三方はその後大成功。
スターの道を登り詰めるのですが、
彼だけがとうとう脚光を浴びることもなく
60歳でその生涯を閉じてしまいます。
実は成毛氏はブリヂストン創業者の孫で
鳩山由紀夫とは従弟です。
家柄もいいのですが、
それに甘えず
自分のバイトしたお金で海外修業に行ったりと
努力家でもありました。
そこで仕入れた海外のレコーディング技術を
再現しようとしても
日本のエンジニアたちには
理解されなかったようです。
1996年頃に出版された
「天才ギタリスト・シリーズ~JIMMY PAGE」の
成毛氏の記事にこんなくだりがあります。
~けど、少なくともその頃の日本じゃ、やっぱりエンジニアが日本人じゃ無理だったね。今から思えば笑い話だけど、70年頃の日本のスタジオではリミッター/コンプレッサーがあること自体が珍しかった(笑)。で、何ヶ所かあるにはあったけど、そこのエンジニアたちは誰もそのリミッターの使い方を知らないんだぜ!俺達は巧い具合にリー・マイルズとかのプロデュースとエンジニアリングと両方やってたアメリカ人に手伝ってもらって、ようやくそれなりのサウンドを作ってもらえたけど、その時にそのアメリカ人から、レコーディングの奥深さをイヤッて言うほど教えられたんだ。~
彼のやることに時代が追いつけなかった。
だからメジャーになれなかったのでしょう。
この本では
ジミー・ペイジのレコーディング技術に関して
いろいろと言及しておりなかなか読み応えがあります。
楽器演奏に関しても研究熱心で
努力の天才だったような方です。
彼は指が短かったために、
そのサイズにあうレスポールを
グレコに発註、使用していたようです。
レッド・ツェッペリン来日時に
ジミー・ペイジがあるライヴで
グレコを使っていたという噂もありました。
晩年は腱鞘炎で苦しまれたとききます。
グレコいや日本のエレキ・ギターはもちろん
彼がいなければ
日本のロックの発展もなかったと思います。
一般レベルではメジャーではありませんでしたが
業界では一目置かれていたのではないでしょうか?
そんな生き方もカッコイイなと思いました。
〈つづく〉
成毛滋の凄さの一旦が窺える動画