北村武資先生を偲んで−
少し前ですが染織で人間国宝北村武資先生がお亡くなりになりました。
北村先生の仕事は糸を染め、その糸を織り上げて作品になります。文字通り−染め織り−の染織/せんしょくです。
僕は着色していない糸で織り上がった白生地に染料で染めていく染色/せんしょくを専門にしています。
染め畑で育ってきた僕が、北村先生や織りについて話すことは筋違いだと思いますが、僕は北村先生が好きで今回書きたくなりました。
北村先生について一つだけ印象に残っていることがあって、以前研究会でご一緒させていただいた時にご自身の作品を前に意図を話してくださる機会がありました。
その先生の制作内容、取り組みは
「ある古い文献読んでいた時に、東洋のある地域にだけ作られた織物の宝物というねが7つあって、その七つは各地域ごと国に献上されたらしいのです。」
「私はそれがどんな宝物だったのか気になって、色々調べてみたが手がかりが見つからない。そこで自分の知っている学芸員や研究員、有識者の方に片っ端からお話を聞いてみた。すると僅かだがその織物にまつわる裏付けを一つだけ得た。」
「その僅かな情報とは七つのうちの一つの織物が中央アジアの国〇〇に(すみません、忘れてしまいました)宝物として献上されたようだ、季節は春、これだけが情報でした。」
「そこから私はその献上された地域、時代、風土を調べ、それを元にその織物を復元しようと今回の制作に挑んだのです。」
と、研究会でサラサラと当たり前のようにこんなことを話されました。 僕は驚き、とにかくこの方はなんてロマンがあるか、いえ夢を持って仕事をされているのか、と深く感動しました。
僕は写生をして作品を作りますがそれは現在あるものや風景からで、時代を越えて写生することは無かったです。 北村先生はそれをされて作品を作っていた。
スケールの違いというか持ってるものや求めるものがあまりに違い過ぎて凄く感動をしました。 こんな風に作品をつくる方がいたんだ。とすごく興奮し嬉しくなりました。
そして先生は織り上げた作品を前に
「僅かな資料を元に後は自分で想像して作りました。その時代にはこの織り方が存在していたこととその地域に関係していることからこの織り方を選びました。色は悩んでこれも確実な答えは出ていないが、その地域を調べると放牧も盛んな大平原であったようです。 宝物が贈られた季節は春、織り職人はその若草色に染まる大平原をみて作品の発想を得たと私は思う。それを元にこの色にしました。」
目の前に置かれた作品は美しい若草色の緑の織物でした。
僕はシャレでもなんでもなく、その時代に献上された宝物は紛れもなくこれだと確信していました。 その織物から大平原の景色が見えたのです。 雄大で人の作るものに知性と文明の証があった頃のものがたしかに研究会の会議室そこにありました。
その制作意図を話される時も先生には気品があって、ここまでの作品を作ったなら、どうだ凄いだろ、良く出来ただろ、といって良い。またそこまで追求した時間や努力を見てもらいたい話したいものです。
しかしそんな態度は当然なく、私はこう思うんだけれど、、史実を元に作ってみたらこうなって、、これが本当かは分からない、、と淡々と話されていて、ああ、この方はまだその中央アジアあたりを旅されていて、これで完成でなく研究の途中にいらっしゃるんだな、となんかもう神々しいまで先生から感じました。
そんなこと淡々とおっしゃる方がいなくなってしまったんですよ、
でっかい夢やロマンを淡々と話して制作される方がいなくなったんです。
こんな悲しいことはないです。 居て欲しかった。 でも先生はですね、
魂はここぞとばかりにその時代に行かれて現在宝物を巡る旅をされていると思います。存分に
織りを通して歴史を旅されてきた作家なのだと思います。