昔見た映画をもう一度見るシリーズ 映画-プライベートライアン- | サボリ通信

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大村幸太郎ブログ

第三回は戦争映画、
とかく観たまま、感じたまま、熱いままに書きます、今回は










プライベートライアン 1998年/アメリカ映画

スティーブンスピルバーグ監督





舞台は第二次世界大戦、最悪のノルマンディー上陸作戦を生き延びたミラー大尉は上陸後、米陸軍参謀総長から個別に任務をうける。
それは戦場で行方不明となったライアン家四兄弟のうち末っ子ジェームズを保護し国へ帰還させるという任務だった。





地獄、
地獄がどんな所なのか知らないがここが地獄。



戦場、
戦場というものどんな所なのかを知らないが、これが戦場。


ピュリッツァー賞、
うち何人かの戦場カメラマンの写真をみた事がある。そこではカメラマンもひとりの兵士にすぎない、銃がカメラに変わっただけ−

 兵士でもない人間が戦場に出る恐ろしさたるやどんなものか想像できない。、が、本作ではとても映画用の撮影とは思えないカメラワーク、、と言っていいのか、、あるひとりのカメラマンが現地へ同行し流れ弾を避けながら撮影した記録のようである



地獄、
それなのに映像に美しさが溢れてる


それにまつわる、という訳ではないだろうけれど、似た話があって

1964年11月、ベトナム戦争へ取材班として同行した作家−開高健−は、ジャングルを従軍中いきなり前方から機関銃の掃射をうける。銃弾を避けるため地面に顔を伏せ、這いずりながら後退し辛うじて死を免れた開高氏はその体験を後にこう語っている。
けたたましい機関銃の音、飛び散る木々、悲鳴、爆撃、それが永遠のように繰り返される中で開高氏は−ただ美しい、とだけ言い放った。人が倒れゆく、爆撃の火が上がる、機関銃の音が鳴り響く、その中にいて、自身の目に映るものはただただ美しいジャングルの光景であったという。サフラン色に輝く黄昏の中に光が溢れ、それがただ美しくて 激烈に美しくて−
とだけ言っている

その戦闘で生き残った人数は開高氏が同行した第一大隊200人のうち、17名のみ そのひとりが開高健だ


本当にそんな風に戦場が見えたものか、または興奮状態に身体の中に何か変化を与えたのか、実際にはどうなのかわからない。 ただ、この映画も同じように映像が美しく描かれており、自然の、陽の光や、深い木々の緑など、随所大変美しく描写されている。戦争映画の場面とはまるで思わせず、旧い名画にでも出てくるワンシーンのような描写がある。
死と隣り合わせになった時、人間の目にはこのように世界は限りなく美しく映るのかもしれない。皮肉にも、生きてる時には感じず、見えず、、この映画では疑似体験と言っていいものか。。 とにかく美しさに焦点がいく それは哀しい美しさというのか、、

なんなんだろ、この感じは
こんな映像どうやって撮れるんだろう



すみません、実は以前見たときの記憶がほぼ無く、、はじめて観たような感想なって勢いでまたまとまらず書いてしまいましたが、、良ければまたご観賞ください




ま~た、ええ時間なるまで見てしまった、、