何故、山に登るのか? というのがありますが
同じように「何故釣りをしますか?」と釣り人に尋ねてみても返ってくる答えは同じく曖昧だと思う
多分答えなんて本人も分かっていないものでしょう
あえて言えば、ヒマだから
ヒマを−釣りという大義に変える事で、あたかも自分にとって必要な時間のようになります。
例えれば釣りとはそういうものだと思う。
そして哲学そのものだと思います
フライフィッシングという釣りをご存知でしょうか?
カウボーイが投げ縄を振り回して牛を捕まえるように、縄を糸に変えて魚を釣る渓流釣りの一種です

釣りは一人で出かける時もあれば、友達と出かける日もある
一人の時は大抵竿先だけを見ている、魚が食うか食わないかそれだけを一日考えています。
それさえしていればその日は報われるわけで、釣れたなら、尚、報われる。
仲間と出かけた時は仲間から釣りを学びます。
浅い瀬を狙う人、深い淵を狙うもの、見切り早く進むもの、ゆっくり釣り上がるもの、同じ川に入ってもそれぞれに釣り方も理念も違います。 一つの川を共有しながら同じ釣りをし、違いを学びます
フライフィッシングは糸がよく絡む。
そんな時は腰をおろしてじっくり解いていく。釣りたい気持ちを抑え、邪険にならず、毛針の先から一つずつ絡みを解いていきます。 一つ一つと絡みに丁寧に向き合えばやがて全て解けます。必ず。
普段の生活の中で問題が生じた時はこの時の川のせせらぎを思い出します
草木生い茂る渓流の中での釣りは糸は引っかかる、もつれる、切れる。その度最たる手段を考え、実行し、末に毛針を上手く扱えるようになった時はそれだけで嬉しいもの
わざわざ難儀を好んでいるようだ



さて、そんな釣りをしていて実生活に何か役立つことがあるか?と聞かれても特に何もないと答えるしかありません。 釣りには何の意味もないです。ただ時間を潰しているだけの事で、奥さんが仰られているその通りです。
釣りに関するどんな格言を並べても、全ては言い訳です
そして意味の無い格言をまた一つ考えています今宵。 意味のない釣りをするために
本質とは意味のないものにこそあるんだよ
なんて



新しい毛針が届くのも楽しみの一つ 全ては魚を騙すためのもの

釣り仲間の後輩が貸してくれたDVD リバーランズスルーイット。 ここにも、釣りとはまさに哲学です。
それではまた
ご一緒しましょう!