大人になってしまうその前に | サボリ通信

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大村幸太郎ブログ

我が家ではこの季節になると少し困った事がある。
正確には−あった。−になるのだけれど、子供二人の誕生日が1月、2月と続くのだ。
そこで出てくるのがプレゼントという存在。
年末25日にはサンタクロースから、お正月には親戚や祖父母からプレゼントやお年玉をいただく、、そして1月、2月に子供たちは誕生日を迎えるのだ
つまり次から次にオモチャが増える、これではオモチャの価値もキリも無い。
なので我が家では少しばかりの料理やケーキは用意するがプレゼントは無し−という事にしている 子供も大人も一緒、与え続ければ調子にのるのは自身の経験も踏まえ実証済みである

−そんな事はわかっている。わかっているがせっかく誕生日でなのある。
イベントのランク度を測れば1年を元気に過ごしてくれた記念日、親の僕でも嬉しい日だ。これこそがメインエベントでもある。

何かを贈りたい! そう思う しかし、、

なんて僕の幼い頃を思い出してみたら誕生日にはたしかに父親からプレゼントをもらっていた
それはオモチャでは無く、父親が描いてくれた絵だ。

誕生日の何日か前に父親に好きな雑誌などの切り抜きを渡す(ほとんどガンダムのイラスト)そして誕生日当日に家族で夕飯を食べながら父親から絵を贈られるのだ。
幼いながらも日本画科出身はさすが上手いなあと思った
そのイベントは小学校3、4年くらいまでは続いただろうか?それが僕は結構好きだった、多分オモチャよりそっちの方が良いと思っていたんじゃないだろうか。
それが高学年になった頃か、急に誕生日にファミコンのソフトを一つ買ってやる、という事になった。 物凄く嬉しかったけれど、何というか一般によく言う誕生日になってしまったんだなと何処と無く味気なさを感じた。 それ以降僕は要らないって言っていたと思う
まあ、多分今父親と同じ仕事している僕から言えば、忙しくて描いてるヒマないだけだよ と当時の僕には言ってやりたい
しかし思い出しても両親や兄弟に祖父母まで祝ってくれた僕の誕生日はとても賑やかだった。 オフクロ特製の唐揚げがあってケーキもその頃は焼いてくれていた。 あれは今も食べたいな



それから話は現在に戻って−蛙の子は蛙というか、僕も今同じようなプレゼントをしている。
絵本を描いてあげるのだ。
何かの本から物語をペン入れして、そこにイラストを添える それだけのものだけれど。
子供たちがどう感じているかはまあ置いておいて クリスマスの年末からのオモチャ三連コンボは回避したつもりだ


どう思われているかはわからないけれど、でもたまに子供から似顔絵をもらったりする僕はとても暖かい気持ちになる。あの感動は同じようにそのまま返して良いと思う
ただ僕も描けばいいのだ。
絵が自信ないなら貼り絵でも写真を貼り付けてもいいし、歌でも何でもいい

下手であればあるほどやれば良い。その方が下手な絵で笑えて誕生日は盛り上がるのだから (故岡本太郎氏の受け売りですが)



こういうのは期限付きだから
僕もこの絵本描きは小学校1.2年までかなと思っています。 その後はキッパリ絵本描きをやめてそっからは仕事にしっかり集中するつもりです
 

 


絵本も増えてきた。 最新刊はブレーメンの音楽隊。

落ちは一応付けていて動物たちが−無礼面−というロックバンドを組んで終わっている。
 

あと何冊描けるだろう