こんにちは花

今まで私がどういう人生を歩んできたかを

印象深かった出来事を中心に書いてみようと思います。

今回は子供の頃の

親の教育方針に関してです。

 

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前回のお話:今までの私のこと(子供の頃-1-/家庭崩壊)

 

小学生、中学生の頃

 

私の母は教育熱心でした。

家庭教師をつけてくれたり

塾に通わせてくれたり

英会話教室、水泳、ピアノなど

いろいろな習い事にも通わせてくれたりと

できる限りのことをしてくれていましたにっこり

 

学業に関することは特に厳しくて

小学生の頃に

自分では良くできたと思って

母が喜んでくれるんじゃないかと思って

95点のテストを見せに行くと

褒められることはありませんでした。

 

母を満足させられない自分に

残念な気持ち、寂しい気持ちになりましたショボーン

100点のときは褒めてくれていたと思います。

 

親が大事だと思っている学業に関して

私はあまり褒められたり、

認められたりした記憶がありませんショボーン

 

このあたりから

自分でも気付かないうちに

" 完璧じゃないとダメなんだ "

" 完璧じゃないと認められないんだ "

" 完璧じゃない自分には価値がないんだ "

と思うようになっていきました。

(私のためを思って厳しくしていた、

愛情からの厳しさだったと今は分かりますが、

あの頃の私には、

認められない寂しさ、虚しさが残っていきましたショボーン

 

中学生になると

テストの成績の順位が出されるようになって

学年全体が確か180人くらいだったと思うんだけど

20位以内に入らないと

親の機嫌がとても悪くなりましたショボーン

 

こういった環境で過ごして

高校受験では

恐らく親の望んでいたであろう

一番の進学校には成績が足りず

その次くらいの進学校に進むことになりました。

 

(今の自分で

子供の頃を思い返すと

辛いとか悲しいことだけじゃなくて

楽しいこと、嬉しいこともあったなと思えます。

 

休日に一緒にお菓子作りをしてくれたり、

いろんなところに連れて行ってくれたり、

家は片付いていて、

毎日清潔なお洋服があって、

毎日美味しいご飯を作ってくれて、

送り迎えをしてくれて、

きっと他にもたくさんあると思います。

たくさんの愛情を注いでいてくれてたんだなって

今では気付けています。

 

ただ、

自分を守るための脳の仕組みとして

辛い、悲しい、寂しい、怖いとかの

痛みを伴う出来事が

強く印象に残っている、

強く記録されてしまっているんだと思います。)

 

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今日はここまでにしますね花

今日も読んでくださってありがとうございましたニコニコ

 

次回のお話:今までの私のこと(子供の頃-3-/強い劣等感)