今日は2年前、子宮外妊娠の当日緊急手術をした日です。
最初におなかに宿した赤ちゃんの命日です。
朝、主人とお空に帰った赤ちゃんに手をあわせました。
2年前、はじめてのIVFで妊娠がわかったのは9/24、この日は送別会でした。
午前中、クリニックの尿検査で陽性が伝えられ、浮かれて会社に向かったことを覚えています。
送別会のあと、上司を呼びとめて、妊娠しましたと報告。
一般的には早すぎる報告だけど、不妊治療をしていたのは上司は知っていたし、初めての妊娠で体にどんな変化があるのか想像がつかなかったので、伝えておきたかったのです。
上司はとても喜んでくれて、さらにウキウキして帰宅しました
翌週の診察で胎嚢が見えないことを告げられます。
もう5週だし、見えないとおかしいんだけどな・・・とドクターの怪訝な顔。
イッキに不安が押し寄せました。
順調じゃない。
そう思ったら心臓がバクバクバクバクしました。
胎嚢が見えないと言われた数日後、仕事中に激しい腹痛に襲われます。
右下腹が今まで感じたことのない痛みでうずきます。
耐えられないと感じて会社を早退しましたが、痛くて動けない。
主人に迎えに来てもらい、一歩一歩車へ向かいました。
脂汗のにじむような痛み・・・
すぐにでも病院に行きたかったけれど、既に夜でした。
翌日、経費の〆がありどうしても仕事が休めなかった私は、おなかの痛みが少し落ち着いたので出勤。
仕事はやってもやっても終わらず、気が付いたら残業は3時間を超えていました。
明日は再度胎嚢を確認しましょう、と指定されていた来院日。
上司に状況を話し、もしも明日診察の結果で明後日の仕事をお休みするようなことになったらごめんなさいと伝え帰宅しました。
そして2013/10/2
バッグにおさいふとケイタイだけ入れて軽装ででかけました。
帰ってきたら、すぐ横になろうと思っていました。
エコーに、私の赤ちゃんはうつりませんでした。
急きょ血液検査
HCGの値は1000を超えていました。
まちがいなく、妊娠は私のからだのどこかで起こっていました。
Dr:「今から大きな病院にすぐ行ってもらいます。危険な状態だと思います。子宮外妊娠です。」
頭の中が真っ白になりました。
聞いたことのある病名だけど、まさか自分の身に起こるなんて。
ただ、茫然とDrが総合病院に直接電話をかけるのを眺めていました。
先方は受け入れOK、すぐに来てくださいとのこと。
地図と紹介状を渡された瞬間、涙が滝のように出てきました。
Drが「今回は残念ですが・・・妊娠できるということはわかったのだから・・」というようなことを言っていましたが
当然なんのなぐさめにもならず、わんわん泣きながらクリニックを出ました。
待合室の人たちはたぶんとてもびっくりしたと思います。今思えば。
外に出たら台風並みの雨風が吹いていました。
雨の音と傘のおかげで、私が号泣していることはまわりに知られずにちょうどよいと思いながら駅へ向かいました。
紹介された病院へは15分ほどで到着しました。
病院につくと、昼休み中でした。
産婦人科の受付の方が号泣している私を見て、午後の一番で診てくださいますからねとなぐさめてくれました。
産婦人科内にずっといるのも悪いかなと思い、廊下に出て泣いていたら、主人がきました。
顔をみたらほっとしたのと、つい先日妊娠で大喜びしたのに奈落の底へ突き落された悲しみで、もっと涙が出ました。
主人は大事な仕事があった日なのに、キャンセルしてきてくれました。
ありがたかったです。
まだ昼休み中の産婦人科から、私を探す声が聞こえます。
行ってみると、先生が昼休みなのに診てくださるとのこと。
診察室に入ると、先生のうしろに研修医の方がズラリ。
勉強させてもらいたいんですが、いいですかと聞かれ、ハイと答えます。
子宮外妊娠なんてそうそうみられないですもんね。
勉強していただいて次に生かしてもらえたらいいと思いましたが、さすがにいっぱいいてビビりました。
検査の結果、右卵管に赤ちゃんがいるとの診断。
痛みが出ているし、大至急手術をしなければあなたの命が危険ですと知らされます。
どうりで右下腹が痛んだわけです。
内診では、Dr:「ここ、痛いですか?」と何度もおなかを押されます。
そんなに強く押したら赤ちゃんがかわいそうだよと思ったらまた涙が出ます。
そうか、この子はもう生まれてこられないんだ、だから先生は強く押すんだ、
悲しくて悲しくて、赤ちゃんに済まない気持ちでいっぱいでした。
私:「わかりました。家で入院の荷物を整えて・・」
Dr:「いやいや、そんなひまはありません。今、手術しますので同意書を書いてください。」
まさかの急展開で、超軽装おさんぽバッグひとつで来院した私はそのまま7日間入院となりました。
当日、朝におにぎり1つしか食べておらず水分もまったく取っていなかったことも幸いして
初めての診察から2時間後には手術台の上に乗っていました。
Drは手術前、「つらかったですね。自然妊娠にトライしたかったら卵管は残してもいいし、子宮外妊娠のリスク排除には取ったほうがいい。手術台の上まで悩んでいいから。」
と言ってくれて、私の気持ちを尊重してくれました。
病棟で手術着に着替えるときも、看護師さんがずっと肩をなでて、泣いてばかりでうまく着替えられない私の手伝いをしてくれました。
手術室には歩いて入りました。
手術室にはEXILEの音楽が流れていました。
横になったらすぐに麻酔がかけられ、意識を失いました。
手術は2時間ほどで終了。
おへその中、恥骨の上、右、左と計4か所に穴をあける腹腔鏡手術です。
術後丸1日はおむつをしながら痛みと闘いました。
その後は経過とともに少しずつラクになる、といった感じで回復に向かいました。
術後、卵管の写真を見ました。
真っ赤にぷっくりと、まるで明太子みたいに腫れあがった私の卵管。
この中に、赤ちゃんがいました。
結局卵管は手術台の上で
「次はぜったい産みたい!だからもうニ度と子宮外妊娠しないように卵管は切除してください!」
と言いました。
この時点ですでに私は、こんな思いをしても尚、不妊治療をあきらめない選択をしていました。
最初の妊娠でこの経験をした私は、よくも悪くも強くなりました。
ちょっとのことではへこたれていられない。
あの痛み、苦しみ、悲しみに比べたらなんてことない。
こんな風に思うようになりました。
おかげで陰性や度重なる流産を経ても、不妊治療を本気でやめようとは思いませんでした。
(もうやめちゃおうかなイジイジイジってのは何度かありました)
手術のあと、社会復帰してしばらくして、夜空を見上げたら、ひとつだけ真っ赤な星がありました。
なんとなく、あの子はあの星になったのかな・・なんてメルヘンなことを考えました