たとえば、心も身体もへこんで疲れた日ためいき


帰り道に、「癒しのお楽しみ」を見つけましたきらきら!!


それは、


「美人湯 祥風苑」に行って、温泉でひたすらぼーっと・・・シャボン玉 お湯が流れる規則正しい「音」を聞きながら、目を閉じて、ぼー 涼しい夜風を頬に受けて、ぼー ぬるっとしたお湯をお肌になじませながら、ぼー


この間、お湯につかっていた見知らぬ人が、ふともらした一言「ほんと、気持ちよかったね。いのちの洗濯やねぇ」


うん、この気持ちわかるなぁらぶ②


ゆっくり1時間ほどお湯を楽しむと、さっきまでの重く沈んだ心が、ほんの少し軽くなった感じがします。


そして、


お風呂の後に、高槻市駅前の「きんせい」に行って、ラーメンを食べるラーメン


この2つで、とっても幸せな気持ち音符





今週は、何だか「体がだるいなぁ」という一週間ではなかったでしょうか?


月曜日から、何となく力の出ないような、シャキッとしないような、夏バテのような(倦怠感というのかな)そんな感じで一週間がスタートしました。あまりこんな「だるさ」というのは感じない人間なのですが、一週間が終わってみても、まだやっぱり「だるい」。


私だけかと思っていたら、どうやらそうではないようで。


今週の教室は、これが同じクラスか?と疑うほど、生徒たちは疲れてしんどうそうにしていました。


他の先生方に聞いてみても、他のクラスも何だか生徒が疲れている様子、とのことでした。特に、新入生である1年生はその傾向が顕著です。


4月は新しい環境になって緊張の連続。それぞれに精一杯気持ちを張って、新しい生活をがんばってきたはずです。ひと月弱がんばったところで、GWがやって来て、ちょっとホッとして。休み明けは、さあまたがんばろう!と気合いを入れ、エンジンをかけなおして再び走り出した。突っ走って1週間ほど経ったところで、今までの走った分の「疲れ」がどばーっとやってきた、今はそんな感じなのでしょうか。


「気持ちはわかるよ」と思いながらも、自分は教壇でせいいっぱい演じ、何とか顔を向けさせようと必死です。この「だるさ」は頭ごなしに叱ることはできない。「しっかりやりなさい」「シャキッとしなさい」と言われても、結局どうしたらシャキッとできるのかわからない。


だからこそ、こういう時期にどういう言葉をかけ、どう励ますのか難しいなと感じます。



高校2年生の教材で「コミュニケーションとしきり」という評論文がある。


わたしとあなたの間には「しきり」「障害」「壁」が存在する。これを取り払うことはできない。


でも、「しきり」「壁」が存在するからこそ、人はしきりの上から「手をつなごう」と思い、「言葉」を使ってコミュニケーションを続けるのだ、そういうものなのだ、という内容である。


そんなことを授業で扱いながら、今日は特に自分と生徒たちとの間の「壁」を強く感じて、とてもむなしい気持ちになった。


5月という時期のためか、暑くなってきた気候のせいなのか、教室はくたびれた雰囲気だった。


「気」のないところに、いくら一生懸命「がんばれ」と言ったところで、その言葉は届かない。


どうやったら「言葉」が届くのか。教材が言うように、「言葉で伝えること」は必ず必要なことだけど、どうしたら言葉が伝わるのか、自分自身わからなくて、途方にくれることがあるのです。