7月に入り、本格的な「夏」の毎日ですヒマワリ 気温30℃超えも当たり前あせる


さて、6月中もアトピーの状態はいまいちで、手のひら・手の指、首回りを中心になかなか良くならない日々でした。6月の中旬以降は、腕や顔にも広がってきたので、さらにいや-な気持ちになっていました。


「気にしない、気にしない」って自分で言い聞かせても、人に何かを手渡す時、レジでお金を払う時、鏡で顔を見る時、人と話している時、そんな一日の中でのいろいろな「瞬間」にアトピーの湿疹がいちいち気になります。何より、手のひらが傷だらけなのは本当に不便。持つ、触る、握る、洗う・・・毎日のささいな一つ一つに支障が出るのです。


そのことで、イライラもするしがっかりもするし、正直、この湿疹の存在に毎日疲れていました。


皮膚科の診察日。そんなこのひと月の「あまり良くならないな~」という状態を簡単にお話すると、中村先生は「何か原因は思い当たるかー?」と聞きました。私は「特に、これといって思いつかないんですが・・・」と答えました。


先生は「どきどき、わくわくしてる-?」と聞きました。うん、仕事もおもしろくなってきたし、緊張や失敗をしながら少しずつ自分が成長しているっていう実感もある。なのに、何でこの湿疹がなくなってくれないのか、という思いがあったり。


良くならない理由が思いつかないでいる私を見て、先生は次に「ちょっと蹴散らしてもいいんやで」と言いました。つまり、「ステロイド、使うか~?」と。ちょっと意外なことばだったけど、今日は思いきって「ステロイドを使いたいです」と言おうかなと思ってきたので、自分で言う前にまさにそのことを聞かれてほっとして、正直に「使いたい」と答えました。


これから、自分にとって大きなイベント(発表会)や採用試験などがあって、7・8月はがんばりたい時期。「これから試験とかチャレンジしたいことがいろいろあって、がんばりたいので使いたい」と言うと、先生は「おー受け受け~」と明るく言ってくれました。


せっかく、ステを使わずにやってきたのに。まる2年以上もステオフでやってきたのになぁ・・・


という思いがあって、敗北感というか挫折感というか、「負け」を感じて悔しい気もしました。


でも、先生が「湿疹が出てることがストレスになって、それにイライラしてしまうんやったら、いったん抑え込んで、楽になって自分のやりたいことやったらいいんちゃう。またやめればいいんやし」と言ってくれたので、それもそうだな、と気持ちが軽くなりました。


それから、「その試験勉強が不安になってへん?“不安”は悪化要因のイチやからね」と。「不安」を「自信」と「安心」に変えていく、その中でアトピーも知らない間に治っていくものさ。というのが、先生のいつものアドバイス。初めはことばの意味に実感をもてなかったけど、今はよくわかる。一人でがんばっていると不安、誰にも聞けない助けてもらえないのも不安。でも、わからないことはどんどん誰かに聞いて、誰かに教えてもらって、誰かに助けてもらって、そうして自分も一生懸命がんばって。そうして、自分の立場とか自分に対する評価を知って、人との中で自分のやりたいことをやる。一人じゃないことの安心感、誰かとつながっていられることの安心感、自分の力を発揮できる自信。そんなものが、人を自立させるんだと思う。


最後に、「自分が努力している姿が自信になるんや」と先生は言いました。その通りです。何かにむかってがんばっている自分というのは、自分から見ても気持ちがいいしかっこいいもの。自分に関しては、かっこの悪いところばかり見えがちだけど、がんばっている時は、かっこいい自分に自信をもちたい。



どのランクのステにするかを決めて、塗り方の説明がありました。


身体用には真ん中くらいの、顔にはもっと弱いもの。以前の病院で処方されていたのは、マイザーとキンダーベート。それを言うと、先生は「極端やな。マイザーは強いけど、キンダーベートは効くか効かへんかわからんくらい弱いで。今は、その間くらいのがいいと思う」と言って、身体用と顔用に2種類出してくれました。


次回の診察の予約を入れて終わりました。


正直なところは、少し敗北感があるけど、それよりもほっとした気持ちが大きい。


前向きにいこうらぶ②四つ葉


6月最後の日曜日四つ葉この日は終日フリー音符


そこで、新しくなった「大阪駅」に行ってきました。


5月に開業した「大阪ステーションシティ」なるもの、そして「三越伊勢丹」「ルクア」。開業してすぐは、ものすごい混雑なので、あえて近寄らず。世間から遅れること、ひと月半ばかり、行ってきました。


新しくなった大阪駅は、出口のエスカレーターがいっぱいあって、あらゆるところから外に出られるような、何だか「立体の迷路」みたい(立体の迷路ってどんなんかわからないけど・・・)。


大きな改札を出ると、高い天井の開放的なコンコースで、伊勢丹とルクアにつながっています。


ピカピカで、「どうだ」と言わんばかりに胸を張ってそびえ立っているような感じの空間でした。


うーん、なんだかなぁ。落ち着かない汗


ちょうど、10時。


三越伊勢丹が開店です。


ゆったりとした空間で、どこもかしこも、やっぱりピカピカ。


フロアマップを見つつ、店内をぶらぶらしましたが、とにかく落ち着かない・・・・


大好きな「B-SHOP」は想像以上に充実していて楽しかったですいっぱいハート


でも、とにかく、新しくてきれいで、スッキリでスマートな空間に落ち着かない。


そのうちになぜか「人の“欲”ってきりがないなぁ」とか「暮らしにこんなに“モノ”って要るのだろうか」とかってぼんやりと考えてはじめていて、たくさんのお客さんを見ながら、なぜか「おlしゃれ」というものに対する思いが急激に冷めていくように感じがしました。と言っても、もともと「おしゃれ」に熱心であったわけではなくて、むしろその「逆」で、自分の着心地のよいものを心地よい程度に身につけることしかしていないけれど、それでもモノを「欲しい」と求めること・新しいものを求めること、それがとても空しいような気持ちになりました。


多くの人がどきどき・わくわくするような、「新しいモノ」や「ピカピカしたモノ」に、ちっともわくわくしていない自分。


こんな気持ちが不思議だったけど、自分の素直な反応だと思って、慣れたところの見たいものだけを見て、早々と大阪を後にしたのでした。


新しくて、ピカピカしていて、たくさんのモノがあって、常に時代の一番前を走っているような、そういう場所にどうやら自分はあまりわくわくしないし、「充電」にもならないようです。あまのじゃくな、一個人の感想でした。


先月から私のひそかな楽しみとなっている「温泉」。本当は、有名な温泉地に旅行したいけれど、もちろんそれは無理なので、今通っているのは市内にある「祥風苑」です。(以前にも書きましたが)仕事帰りに寄れて、自宅まで一駅なので、よく行くようになってしまいました。自分へのご褒美にしています。


もう勝手知りたる脱衣所やロッカー。浴室内もすっかりなじみの風景です。それでも、「露天風呂のこの位置の背もたれがちょうどいい感じ」とか「風が入るこの場所が気持ちいい」とか、つかる“ベストポイント”を発見したり、自分なりの入り方がわかってくると、なお楽しいです。
今日は、初めて「遠赤外線サウナ」に入りました。どうしてもサウナの息苦しさがいやだったのです。でも、ここのサウナはそんなに重くなくて、しかも、室内にテレビがあって楽しかったです。「水風呂」と交互に入るとしんどくないし、とっても気持ちいいことがわかりました。今度からは、水風呂とサウナも追加です。
無限に、規則正しく、流れ続けるお湯の音を耳で聞き、肌で感じてる。ただそれだけで、心身ともに癒されます。



偶然、最近読んでいる夏目漱石の『草枕』の中に、「おぉ~」と感動したところがありました。主人公が旅先で温泉につかる場面(七)。



 ……湯はどこから湧いて出るか知らぬが、常でも槽の縁を奇麗に越している。春の石は乾くひまなく濡れて、あたたかに、踏む足の、心は穏やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠めて、ひそかに春を潤おす程のしめやかさであるが、軒のしずくは、漸やく繁く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠められた湯気は、床から天井を隈なく埋めて、隙間さえあれば、節穴の細きを厭わず洩れ出でんとする景色である。(後略)
 ……余は湯槽のふちに仰向の頭を支えて、透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がくらげの様に浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張をはずす。どうともせよと、温泉(ゆ)のなかで、温泉(ゆ)と同化してしまう。流れるもの程生きるに苦は入らぬ。             
(夏目漱石『草枕』新潮文庫・平成22年後刷)



漱石先生はやっぱりいい。

「ふわり、ふわりと」「世の中もこんな気になれば楽なもの」
肩の力を抜いて、流れるものにふわりふわりと身をまかせるのも時にはいいかもしれない。


中間考査後は、芥川龍之介「羅生門」と、中島敦「山月記」の小説二本立ての授業です。偉大な小説家の名作中の名作を相手に、たじたじ・四苦八苦の日々。でも、改めて、二人のすごさにただただ脱帽。芥川は35年、中島敦は33年という、とても短い人生だったけれど、本当にものすごい作品を残してくれた。


今、芥川ほど鋭く深く、「人間」を描き出す小説は見当たらないし、中島敦ほど「よくできている」と心底感心する小説も見当たらない。そして、漱石の『坊っちゃん』ほどさわやかな元気をもらえる小説はあるのかな。


後世の私たちにたくさんの「生きる姿」を見せてくれる、偉大な小説家たちに感謝感謝です。