4月から我が家は、新聞を「朝日新聞」に変えました。今までも、「気分」で新聞を変えていた我が家だが、今回は、「大雨の日、新聞にビニールをかけてくれていなくて、ビチョビチョで読めなかった」ことが何度も続いて腹が立ったから、とのこと。


 新聞が変わってすぐは、見慣れない誌面に(一番は、「テレビ欄」)、何だか居心地の悪さを感じたけれど、やはり人は慣れるものです。今ではすっかり「朝日新聞」に慣れてしまいました。


 「朝日」で、個人的にとても気に入っているのは、毎土曜日、本紙にくっついて入っている「別紙」。タイトルは、「be on Saturday」で、「青色のbe」と「赤色のbe」の2種類があります。


 特に、「青色のbe」は、毎週、興味深い内容がいくつもあります。1面の特集は、「フロントランナー」といって、テレビ番組で言えば、NHKの「トップランナー」や「プロフェッショナル」、毎日テレビの「情熱大陸」のようなもの。


 いま注目の人物を取り上げて、その人柄やお仕事を紹介し、インタビューした内容も掲載しています。


 5月29日(土)は、神戸女学院大学教授、内田樹氏。1面の写真は、内田先生が合気道を教えている姿です。


 内田氏のプロフィールは、あまり知らなかったけれど、「助手時代」が長く、現在の大学に就任するまでに随分と「不採用」を経験されていました。意外でした。


 インタビュー記事の中で、とっても共感できるコメントがありました。


 なかなか大学が決まらなくて、もう学者の道をあきらめようかと思っていた、その時に神戸女学院に採用された、と語った後。


 「周囲の学者世界は、もううんざりだった。索漠として水気のない世界。うわさや情報が飛び交い、悪口大好きで、切れ味鋭く他人を切って捨てる。」


 自分が「もやもや」と感じていた気持ちは、まさにこれだ、と思いました。私がここしばらく「何かがいやだ。何かが違う。」と感じていたことは、まさにこの「うわさや情報が飛び交い、悪口大好きで、切れ味鋭く他人を切って捨てる。」ということへの違和感と嫌悪感だったようです。それがわかって、ちょっとスッキリしたような、ますますはっきりと「いやだ」と思うようになったような。


 学者の世界は、「切れ味鋭く、他人を切って捨てられる」力とか「他人の欠けている点を鋭く突ける」力とか、そういう能力があることが重要で、そういうことができないとダメ。確かに、「学問」や「研究」は、お互いに切って切って切りまくって高められていくものだとは思うけれど。


 でも、そんな「鋭さ」や「切れる頭脳」がない自分は、こんな世界に向いていないし、ここでやっていくのは無理だとも思います。


 それから、「うわさ」や「情報」には本当にうんざり。


 「○○さんは、・・・・・・だったらしい。」「△△くんは、・・・・・・・なんだって。」人のことをあーだこーだ。あーだこーだ。実際に自分が接してそう感じたわけじゃないのに、人から「あの人は、こんなのだよ」と聞くと、「そういう人だ」と思ってしまう。でも、自分が実際に経験したわけじゃないから、何となくしっくりこないというか、わからないというか。その人に対して、どう判断したらいいのか、ますますわからなくなる。


 日々、溢れている「うわさ」や「情報」。聞きたくないなぁ。

 学校の「試験」「テスト」は、生徒の学力や理解度をはかるもの。


 と同時に、教師の指導力をはかるもの、でもある。


 初めての試験、結果は、誠にはっきりと出ました。


 私が担当するクラスの平均点は、他の先生のクラスと比べて5点、10点も下回っていました。


 先生方は、「ある程度、予想はしていたけど・・・・・・」


 「・・・・・・」の部分では、「ここまで差がつくとは」「まいった」というようなことであろうことは、伝わります。気遣って、決してそうだとおっしゃらなかったけれど、間違いなく、責任はこの私にあります。


 ベテランの先生方と組ませてもらって科目を担当するのは、ものすごく勉強になるけれど、先生方と自分との大きな落差にはものすごく落ち込みます。何より、生徒に申し訳ない気持ち。隣のクラスの生徒は、H先生のおもしろい・わかりやすい・力になる授業を受けているのに。


 「落ち込んでいても仕方ない」「やるしかない」


 そう思おうとしても、今日はつらい気持ち。


 20時過ぎに帰宅したら、とりあえず、食べたいものを全部食べて、ほっとして、沈んだ夜を過ごしています。


 せっかく、昨日はたくさんの元気を得て、「やるぞー」って思っていたのに。一日でガラリ一転。またもや、うじうじした小さな自分になってしまった。

 内田樹氏のブログ「内田樹の研究室」は、私にとって数少ない愛読ブログのひとつ。


 超・超・超多忙の毎日でありながら、ほぼ毎日のように、「卓見」の数々をアップされるという、驚くべきお仕事です。ご著書は、この記事が元になっているものもあるそうです。納得。


 それぞれの記事は、簡潔さと掘り下げのバランスが絶妙で、「なるほど」や「スッキリ」がたくさんです。時に、「うーん」と考え込んだり、「?」で埋め尽くされたり、でも、「そうだったのかー」「そんな風に考えられるんだー」という新鮮な発見ができて、とってもおもしろいです。


 5月14日の「言葉の力」も、なるほど~とうなりました。


 少し前に、「~~力」という表現が流行りましたが、「学力」「コミュニケーション力」などと使ったとき、「そういう力があること」と捉えることに何の疑問も持っていませんでした。


 「欠けているという自覚の強度のこと」


 なるほど~ひらめき電球


 「言葉の力」とは、私たちが現にそれを用いて自分の思考や感情を述べているときの言葉の不正確さ、不適切さを悲しむ能力のことを言うのである。

 
 言葉がつねに過剰であるか不足であるかして、どうしても「自分が言いたいこと」に届かないことに苦しむ能力を言うのである。