本好きによる、本好きのため心理学 -14ページ目

本好きによる、本好きのため心理学

このブログは、本が大好きな著者が、同じく本好きの人たちために、暮らしに役立つようなアレンジを加えたブログです!
PV1000達成目標!読者数500目標! 
未熟者ですが、気合入れて書いてます!よろしくお願いします!

酒のつまみが好きな人は、

体質的に冷えやすい(塩分を多く取りたい)←つまみは塩分が豊富なため

ストレスがたまりやすい(神経質)←硬いもの(貝柱・するめ)を噛んで、脳を活性化、ガムを一定の速度でかみ続ける効果として←セロトニン増幅効果

があるのではないか?

辛いものが大好き(食べ物なんにでもタバスコをかける←中国人に多い)な人は
体質的に冷えやすい

というより、現代の食生活では冷えやすい体質の人が大半だろう。

1、エアコンの普及

エアコンは自律神経の機能を著しく低下させる効果がある。
しかも、これが自宅、車、スーパー、コンビニ、喫茶店、飲食店、建物のありとあらゆる場所に確実にセットされておること。
つまり、自律神経が活発に働くことは少ない。
やはり、現代の日本人の健康を考えると入浴は必須だろう。
一日の中で自律神経を活発化させる一種なのだから。
ランニング然り。

2、ビニールハウスの普及

人口が増え、欲が増え、食品ビジネスが台頭してきた時代には、ビニールハウスは画期的な発明品だっただろう!
なぜならば、人間の、食べたい食べ物を時空を超えて手に入れられるようになったのだから!
夏にはナス、ピーマン、トマトなど、人間の体を冷やす食べ物を畑で育て、体内の塩分濃度、水分調整などをコントロールできるような食べ物ばかり食べていた。
しかし、バニールハウスの普及により、そのリズムは崩れ、日本人のセロトニン分泌量は減少していったのだろう。(リズム運動をするとセロトニンが多量に分泌されるが、リズムがくずれればその量は減ることから)日本人に限らず。

3、電化製品の普及と交通機関の発達

いわずもがな、電化製品がない時代には、おけと洗濯板で洗剤を使い、手作業で家事をこなしていた。
電化製品が普及、筋肉の運動がほとんどされなくなった
石原クリニック委員長、石原結實さんの著書によると、体温の上昇は、筋肉運動が基本だというようなことが書いてあった!!!
ということは、
現代はまさに、氷河期?!ということだ。
これは、CO2排出削減しろ!と喧伝するまでもなく、
人間の体内が、
凍っているのかもしれない、、、。(意味不明)

癌が発生しやすい体温は35度台らしい!
しかも、石原さんによると、実際に計測されたらしいが、体温が36度前半の人たちが大半だという。←これ前に書いた気が、、、。
つまり、黄色信号で、癌が発生しやすいという事態。
さらに、スカイツリー、電磁調理器などの強力な電磁波!
日本の健康被害はテロ級でしょう(笑

電磁調理器が安全なはずないじゃない!

スマホなんか、脳から数センチしか離して通話してないのに!
脳波に悪影響←脳に悪影響がでることはあたりまえ。
電気信号の抽象化が脳波(仮説)なのに、その脳波は電磁波で、スマホから発せられるビリビリは電磁波なわけで。
ゆるやかな電磁波と、荒い電磁波がぶつかったら、どちらが取り込まれるかは一目瞭然!(見えないけど

アメリカではBT(ブルーテュース)が当たり前らしい。(見たことないけど)

だれかテレビのタレントさんがBTつけてくれたら流行るのに、、、。(電通、キー局、東電がゆるさないかも、残念)

という

酒のつまみからの健康話題になりまして、
これにて
閉幕。




円周率が割り切れない理由とは!
ずばり!
円ではないからです!

その理由。

円の端っこを指してくださいといったならば、大まかな位置はわかるが、
だいたいの位置情報でしかない。
いくらでもミクロの視点に入って「端」をさすことなどできないのだ!
つまり、「だいたい円」。
これからは、中学の幾何学の授業では、円のことを「だいたい円」と言おう!

三角形に角(かど)はあると思うのか

これもさきほどと同様に、いくらでも細かく小さくしていけるので。
これも、「だいたい三角」

他の図形でも同様。

公理など、ただの「要請(仮定)」でしかない!

非ユークリッド幾何学のお時間でした。

要請は、日常生活でも当てはまる。


私はあるのか?

ない

ある!

答えは両方である!

おなかの中で生きている大腸菌も「私」であり、

広い大陸どこかのだれかさんも「私」であり、

はるかかなたにあろう金星も、

宇宙の果ても

全部

「私」である

自我もただの「要請」でしかない

だから私たちは言語を運用でき、他人の気持ちもわかる。

食べ物も私である。

太陽光を浴びて光合成をした植物に蓄積された太陽エネルギーを「分解」し、
わたしたちは生きているのである!

飯でいちいちまずいだの悪口を言うな!と私は言いたい。

インドでは、物乞いマフィアにこき使われている物乞いがいる。
彼らはマフィアから、顔に熱湯をかけられたり、腕を斧で切り落とされたり、眼球を刃物でえぐられたりして、物乞いとして「商品化」するためにそんなことをする。

物乞いたちは、一日でのノルマを達成できなければ、殴られる。
食事など、腐った肉や魚などを食べて飢えをしのいでいる人たちもいる。

女の子は悪臭がして、お風呂に入る金もあるわけはない。

女の子は売春されないよう、男装をして身を守っている。

毎日、本気で飢えと戦っている人たち。
日本で、「食えない」といっている人たち。
バカらしい。
あなたたちは
本気で毎日を生きている人を感じたことなどあろうものか。
コンビニでフリーターをしていても年収340万ももらって、
「今の生活が不満です」
恥を知れ。

世界にはいろんな人がいるもんなんだなあ(怒り)

ということで、
今日のご飯、インドのカースト制の中にいる物乞いの人たちの心も噛みしめて生きやがれ!

数学とはまったく関係なくなりましたが、要は、
食べ物に対して不満を言うやつら、今生きている、この「瞬間」に感謝しろ!ということがいいたかったのであります。

以上!






頭が良い人というのは、ここでは、抽象化能力に長けていて、かつ、感覚器から受ける情報のリアリティーが強い人のことを言う。

精神的虐待やDVはいつの時代にもあるのだろうか。
たとえば、母親に精神的虐待を受け、食事で一緒になるとき、父親も同伴する状況を思い浮かべてほしい。
Aさん(虐待された子供)は母親の隣にいるだけでも恐怖に襲われ、体がすくむとしよう。
その席に同伴していた父親に、あることで注意されたとする。どなられたとする。
横から母親が、ツイッターのように「本当にもう!」などという子供を否定する発言をぼそっと言う。
しまいには父親、母親から共に怒鳴られ、怒られたとする。
そうすると、本来、父親からの注意の情報が、自分の大嫌いな母親からも怒鳴られることにより、母親に対するトラウマと、父親からの注意がごっちゃになって、恐怖の記憶として脳に定着される。
このことが何度も行われると、母親と父親の主張の違いにすらも気づかなくなり、母親から受けた精神的虐待の記憶と合成されるという”誤認”が生まれ、Aさんの記憶に定着する。
母親を嫌っていた感情とまったく同じ感情が父親にも形成されるようになる。
友達からも、同様な状況から怒られたりした場合、今度は友達にも母親からの精神敵意虐待と同じ感情がAさんの友達にも形成されることになる。
今回のケースは虐待だが、たとえばプールでおぼれた人が海で泳ぎたくなくなり、池を見ただけでもプールで起きた、溺れたという恐怖感が発生するといったこともトラウマに該当する。
DVでも同じである。
この規模が大きいバージョンがPTSDである。

このての記憶は、抑圧され、脳に定着されるので、大人になって思い出すことが難しくなる。
つまり、意識にあげづらくなるので、意識に上がらないことは解釈できない(問題解決)できないので、社会には、自分の能力を制限してしまうような癖をもった人たちが大量に増えることになる。

子供のうちは、親に面倒を見てもらえるから、社会性がまだ必要だとは感じにくいので、自分たちで気づかないことが多い。
しかし、社会に出て初めて、自己責任のもとに行動をしなければ生きることができないことを知る。
会社に入れば、親の代わりが、抑圧的な上司であったり、会社の社長、同僚たちがいじめる。
自分の抑圧されたトラウマを解消しようと、達成感を得て、過去、自分にやられたことを他人にも繰り返す。
この結果が、うつ病を成人になって発症したり、自殺を引き起こしたりする。
親からの精神的虐待、DVなどが”精神疾患の”病理”を引き起こしていると思っている。
結局、頭の良い人も、そうでない人たちのレベルにひきずりおとされるということだ。


先述した根拠を元に、頭が良い人の場合には二つの精神病になりやすい理由がある。

一つ目

一見違う情報でも、共通項を発見しやすい(抽象化能力)性質がある人たちのため、情報を”誤認”しやすくなってしまう。

二つ目

抽象空間の臨場感が高いので、凡人よりもはるかに強い感受性で、自分にとって嫌な感覚が強い状態として記憶に定着しやすい。

この二点において頭の良い人というのはトラウマになりやすい=精神疾患になりやすい人だということがわかる。

家庭内のトラウマ(ほとんどそうだろうが)は問題としてやっかいだ。
なぜならば、子供は、親のいうことを聞かなければ生存することが不可能だからである。
この問題を根本的に解決することは可能だろうか。

それは、私たち一人ひとりが、自分の行動には自己責任が伴うということを大人の側から示し、子供に見本を見せてあげることが必要不可欠だと思っている。
そのためには、社会問題に対して目をむけ、教養のあるリーダー的資質がある人が本来あるべき社会規範を形成し、自分の価値観の元に、自己責任で自分の好きなことをやり続けられる社会を作るべきだと思っている。


こどもに何かを躾けるとき、自分が精神的な虐待のレベルまでいっていないか再考する必要性があるだろう。



生きること=感じること
死ぬこと=感じないこと
生と死は表裏一体
生きる理由や意味はもともと無い。
なぜならば、人間として生まれる前の状態の記憶がなければいけないから。
それを知ることは極めて難しい。
生きる理由を追求しようと思ったら、生まれる前、なぜ生きるのかわかっていたという前提がなければいけない。
生きる意味は自分で、つける。自分の責任で。他人ではない。
その上で、自己責任をもって生きる

宇宙に対してどんな役割を演じたいのか。

自殺はどうしていけないのか
生きないことだから。
生きるための行動ではないから。生と逆方向にベクトルが向くから。
自殺するということは、自分の意思で、自分のエネルギーを使って自分の生命エネルギーをゼロにするということだが、
生きているときに生きないことをすることは本末転倒だから。矛盾する行為の究極が、自殺。
(感じていいるのに感じないようにすることそのものが、自殺行為の延長)
我々が日々感じ、おいしい料理を食べたり、家族や友達や恋人と遊んだり、趣味や仕事に励んだりすることそのものが
生きることの上にのっかていることだから。
では、死ぬことはいけないことなのか。
死ぬことは自然なことで、生きるということは、死というゴールに向かっているため、
いつかくることを悪い悪くないで判断すること自体がおかしい。
だから死ぬことはいけないのかではなく、しょうがないことだ。

極論を言えば、死そのものは主観的に体感できないことなので、死ぬことに成功することはない。
客観視されて始めて成功できたといえる。

生きることに不安を感じるのならば、とりあえず生きてみることで、自分が成長できるチャンスをつかめる方法が見えてくる。
人間の細胞が、細胞自身に心があったとして、悩んで、「おれはなんで生きてるんだろう」と悩むとき、
その細胞自体が肝臓の一部なのか、心臓の一部なのか、髪の毛なのか、自分がどの位置にいて、どんな役割を人間に対して、その人間と人間とをつなぐ社会の位置、つまり、その細胞自体がこの宇宙における役割をはっきりと体感したときに初めてできることだ。

細胞のレベルから人間のレベル、人間社会のレベル、自然と人間との調和のレベル、惑星のレベル、銀河系のレベル、、、と
宇宙まで一つ残らずぜーんぶそれぞれの役割が見えたとき、初めて自分の役割がわかる。
これは、地球人にいるかわからないほど高度なレベルだ。
だからあえて社会に出て生きてみることで、自分の役割が、細胞のレベルから、器官のレベルに認識力が高まったりするわけだ。つまり、宇宙をすべて定義できたときに初めて自分の生きる意味がわかる。

なんのために生まれてきたのか

生まれる前の状態の記憶にアクセスできたとしても、そのまた生まれる前の記憶、そのまた前の記憶、、、と
永遠と問題が解決できない状態が続く。
どの道、何のために生まれてきたのか知る由はない。
だからこそ、自分の意思で、どう生きるかを決めるのだ。

生きることと自己責任は切り離せない

生きる意味がわかったとして、つまらなくなるだけだ。
結局は、苦しみから逃れたいだけ。

世界平和を達成しても、最終的にはまた日常を生きる。
そこで、どんな役割を社会に提供したいのか。

我々人間は迷う存在である。
悩む存在でもある。
悩まない人がいるとすれば、それは、自分自身をだますことが得意な人種なのだろう。

好きがあるから嫌いがある。
好きと嫌いは、数学的にいえば、二次元上のマップのようにしたとき、数直線状の端と端に過ぎない。
好きは嫌いの延長であり、また逆も然りである。
よって、好き、嫌いはそのパラメータの位置情報であるため、完全に嫌いをなくすことは不可能であり、
不可避であり、確実に悩みや苦しみが生まれることになる。
そのような苦しみ自体をなくすことがそもそも無理な話であるため、楽しみ、苦しみ、すべてを、噛めば噛むほど味が出てくる
スルメのように味わうことこそ生きることの真骨頂なのかもしれない。

宇宙を含めた地球の中で今生きることの大切さを説くなら、
地球がたとえ世界平和になったとしても、また日常に戻ることになり、一人ひとりが
自分の日常を生きるのだ。
たとえ世界平和が実現されたとしても。
だから将来が不安などと嘆かないことだ。
それは無駄なことだから。
将来は自分たちの日常を生きることの延長線上であり、「死」そのものでもある。
「死」から逃れられることは決して無い。

寿命が1000年になったら。
不老不死になったら。
苦しみすら選択する時代。
すべては「成り立っている」
現代でもすでに、アメリカにあるアルコー財団に数千万円のお金と健全な肉体があれば、
冷凍保存で、科学が不老不死になる技術が生まれる時代にまで肉体の状態を保存、つまり、
タイムカプセルとして保管してもらえるわけだ。
今現在でも不老不死に近い技術でタイムトラベルすることは可能だ。
そのカプセルが災害などで壊れなければの話だが。

現代、苦しむことも楽しむことも選択できることに感謝すべきかもしれない。


テレビでうつ病のことに対して放送していた。
その一つのコーナーで、「あなたはうつ病に当てはまるか診断」みたいなことをやっていたし、わざわざ視聴者や、スタジオのゲストの方々に対して、うつ病です!あなたは!みたいなこともバンバンいっていて、かなり腹が立った。ゲストもリアクションの良い人たちばかり使いやがって、と。
乱文で申し訳ないのだが、腹が立ったので仕方が無い。

要は、医者である本来病気を治し、健康な人たちにさせていく立場の人間の人たちが、人を病気にさせるような発言をしているものだ。
テレビに出て研究費稼ぎかなにかしたいんだろうが、視聴者を「病気」にさせていることに無責任甚だしい。

病とは宣告されてより大きくなる性質を持っている。
我々が病院に行く理由は、自分に医学的知識がなく、かつ、安心させてもらえるようになるために自己治癒できないほどの怪我、病気をわざわざ、それらを満たすために病院へ行く。
その病院にいる医者の責任とはとても大きい。
人の命そのものを扱う職業である。
軽率な発言をされては困る。
その医者を頼って来ている人に対して病名を宣告するということは、それだけで患者に対して精神的ダメージのあることだ。

それと、テレビを見ていて思ったが、病名に気をとられて、本命の患者の精神状態、「心」自体を見ていない医者が多いのではないかと心配した。
本来は、患者を良く診るためのツールとして病名があるだけであって、病名がすべてではないことは誰でもわかることだろう。

病名で視聴者の恐怖を煽るようなことをやるテレビ番組は、私は犯罪だと思う。本気で。

ここで、素人なりに私が調べたうつ病の治療法を紹介する
まず、うつ病患者には神経伝達物質であるセロトニン(幸せを感じるホルモン)が圧倒的に足りない。
なので、セロトニンを増やす方法として、
「リズム運動」をすることをおすすめする
リズム運動をすることによって、セロトニンが大量に出て、ドーパミン(運動を促すホルモン)も同時に脳から放出されるので効果的だ。
つまり、ガムを噛む、ウォーキングをする、スイミング、エアロビクス、ランニングなど
いろいろある。
ランニングなら週3~4回、一日30分くらいを目安にすると良いらしい。詳しい研究結果は脳を鍛えるには運動しかない!をご一読を!
セロトニンが大量に脳から出されることによって自律神経も、交感神経(興奮させる)から副交感神経(リラックスさせる)へと優位になるので、心身ともにリラックス効果がある。
大リーガーがガムを噛みながら野球をすることは、理にかなっているということだ。

それと、うつ病にかかっている人は、運動する気も起きない可能性が高いので、ホラー映画を観ることをおすすめします。恐怖も脳からセロトニンが分泌されるらしく、良いそうです。

産業革命から始まり、印刷技術の発明、農学、工学、医学の発展、ITの発展と来て、
1000年後の未来、医療が発達しすぎて、すべての病気から生体が守れる時代になったとき、我々は「苦しみ」そのものも選択することができるようになっているだろう。
もしそんな時代に生きていたとしたならば、薬局では、人工知能で作られたロボットが、人間の臓器を売っていて、脳も代替え品があることになっていることだろう。
今、「苦しみ」を味わえていることこそ奇跡かもしれない。