白藤(haku)です。
明日は1月17日。
忘れもしない大学1年の冬。
初めて体験した大きな震災が起きた日。
当時、私は大学の学生寮に住んでいて
1才年上の先輩と相部屋でした。
朝方、急に二段ベッドが回転し
大きな揺れで目が覚めました。
神戸市東灘区、山の中腹にある女子寮。
寮母さんがいない学生だけの寮。
地方から出てきた人が集まった寮。
揺れが大きすぎて怖すぎて
「せんぱい!揺れてるー‼️」と何度叫んだかw
揺れが落ち着いてから
先輩の友だちと自分の友だちと
1つの部屋に集まって情報収集。
水出ないよ!
電気もつかない!
テレビが見れない!
誰かラジオ持ってない?
みんな食べ物どのくらいある?
飲み物は?
学生寮は昼夜の食事付きだったので
食料を持ってる人はほとんどなく
食パンとか牛乳とかお菓子とか……。
若干、18歳。
何時なんどきでも
最低限の食料は持っとかなアカン!
と、このとき強く思いました。
食料も水もないなら
街におりて買い出しに行こう!
私と他数名で寮を出て
いつも行ってるスーパーやコンビニに
行こうとしましたが
目の前に広がる風景に唖然として
落胆したことを覚えています。
コンビニはスッカラカン。
食料だけじゃなく
飲料もお菓子も紙類も
雑誌や日用品の類いも何もない。
本当に何一つ残ってませんでした。
探して探して探しまくって
ようやく見つけた小さな酒屋さんに
ほんの少し残っていた駄菓子を買えただけ。
収穫はほぼゼロ。
申し訳ない気持ちで寮に帰りました。
電車も止まってる。
実家に帰ろうにも交通手段はない。
電話も混線してるから家に電話もできない。
ラジオで聞こえてくる死者数が
どんどんどんどん増えて
街の数ヵ所で家が燃えてるのが
部屋から見えてより一層怖くなりました。
電気もガスも止まってるから
夜が近づくにつれて暗くなるし寒いし怖いし。
誰かが持ってたキャンドルの灯りだけで
一晩寝ずに過ごしました。
早くここから出たい‼️
翌朝、電車が動いてる駅まで
みんなで2時間歩きました。
線路はグニャグニャに変形していて
見るも無惨な姿をしていました。
電車に乗れた時はどれだけホッとしたか。
幸いなことに
寮に留まったのは1日だけでしたが
それでも思い出すと今でも怖くなります。
その経験があるからか
大雑把で能天気な私ですが
備蓄に対してだけは「まぁいいか」とは思えず
端から見ても過剰反応と思われるくらい
真剣に考えてます。
加藤さんに出会ったおかげで
最近は自分のためというより
大事な人たちのために何かできないかなと
今の自分にできることを
考えるようになりましたが……。
そんな話をしたら
夫がこんな画像を見せてくれました。
過去2年間で
日本で起こった震度3以上の地震の分布図。
色分けしてあるのは震源の深さ。
赤は浅く、黄色、緑、青になるほど震源が深い。
これを見るとプレートの位置が
だいたい分かるらしい。
太平洋側の方が震源が深い地震が多い。
このプレートがゆっくり沈み、
耐えられなくなった時に起こる反発が
どの程度なのか。
東京直下型地震や南海トラフも
確実に起こると言われているけど
人工的に発生するかどうかは別として
自然発生で起きてもおかしくない。
この画像を見ても一目瞭然。
地震大国なんだもん、日本は。
今できることで人の役に立つことをする。
少ない資源を有効に使って人に喜んでもらう。
1/10の講演会で
加藤さんが話してくださったこの言葉。
今の私を一番励まし、奮い立たせてくれます。
てことで、今日も明日も
大切な友人にプレゼントする味噌を仕込みますw
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◇オススメの動画◇
加藤さんのYouTubeチャンネル✨
https://youtu.be/P7_ePX36XsU
丸パクリですが、ぜひチェックしてね⬇️
(加藤さんお借りしてます✨)
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