こんにちは、白藤です。
自分の人生を振り返って
罪を悔い改めるシリーズ(笑)。
ストレスで激太りした20代半ば。
ストレスMAXで仕事が嫌になり
退職してマッサージ師になろうと思った小娘は
会社に辞表を提出したのだけど、
部長や先輩方に引き留められて
会社にとどまることになりました。
その後、すぐ京都へ転勤。
この時、尊敬する女性の先輩から
「悩んでいるなら相談してほしかった」
と言われたことを思い出しました。
わたしは何でも自分一人で決める癖があり
勝手に妄想して
勝手に悲観的になって
勝手に自分で自分の首を絞めて
自滅する習性があります(笑)😅
プライドが高いから人に相談できない。
弱みを見せられない。
【月刊加藤好洋】でも言われてましたね~
悪魔祓い師の加藤好洋さんが……
自分を疑え!!
まさに……です(笑)😅
当時、この先輩は
わたしが軽いストーカーにあってた時に
車で家まで送ってくださった方。
そうだった。
思い出した。
ストーカーにあってたんだわ、わたし(笑)😂
基本、人を信じられず
いろいろ心配してくれる人に対しても
心を開く事ができなくて
仕事が嫌になったこととか
自分のもやもやした思いとか
人に打ち明けることができなかったわたしは
誰にも相談せずに辞める選択をしたのよね。
その先輩とは年賀状だけのお付き合いだけど
今でもとても大きな存在です。
そんなこんなを経て
刺激と誘惑しかない京都生活を送ることになり
ほぼ毎晩のみに行っては深夜遅くに帰るという
自堕落な生活を繰り返していました。
しかも、
マンションの1階がコンビニだったので、
そこが私の冷蔵庫(笑)。
部屋には鍋もまな板も包丁もない
調理道具が一切ない(笑)💦
美容部員だろ!?
化粧品売ってんだろ!?
美意識なさすぎるだろ!?
女としては終わってました。
※その後、調理道具一式揃えましたよ(笑)✨
都会生活は刺激的でした。
ストレスでブクブクだった体も
元に戻り、標準体重に。
思い出しましたが(笑)、
わたしが摂食障害だったのは
20代ではなく、30代でした。
きちんと自炊していた頃です。
どうやらわたしの記憶は
かなり間違っているようで……
摂食障害ついてはまた書きますね😊
仕事は楽しかったし、
バリバリやってる風でしたが、
プライベートは怠惰が極まってました(笑)。
ただ、仕事は本当に限界まで頑張って
営業の苦手な小娘が
ストレスで十二指腸潰瘍になったりして
精魂尽き果てるまでやりきったと思えたので
転勤から2年後、28歳の時に退職。
前回は仕事が嫌で嫌で
逃げるために辞表を出したけど
二度目は新しい道に進むために辞表を提出。
お世話になった方々にお手紙を書き、
笑いと涙で退職できたことは
本当に良かったと思います。
次の新たなステージは・・・
司会業(なんでやねん!!笑)
大学時代の友達は
なぜわたしが司会業を選んだのか
理解できなかったと言ってました。
なぜなら……
わたしは滑舌があまりよくなくて
喋りも下手で、ゆっくりしか話せなかったから
「大丈夫か!?」と本気で心配したみたい(笑)。
そこは訓練で何とか乗り越えましたけどね🎵
司会の仕事もすごく楽しかった✨
事務所に所属していましたが、
オーディションを受けて落ちたり受かったり。
受かったあともレッスンレッスンの日々。
わたしはかなり出来が悪かったので
指導されることが多かったし、
式場から「何とかしろ!」と
事務所にクレームが入ることもありました。
それでも辞めなかったのは
ほかに収入源がなかったのと
この仕事が楽しくて好きだったのと
お金が必要だったから……。
長くなったので、また次回(続く)。