CNETに福井健策弁護士の「著作物ではない情報(1)~ありふれた表現や社会的事件も著作物?」(18歳からの著作権入門)という面白い記事が載っていました(http://japan.cnet.com/sp/copyright_study/35047973/)
「少年は、背筋を冷たいものが走るのを覚えた」の例を読んで安心しました。この程度の表現は「今やありふれている」そうです。
私も以前読んで頭に残っている文章というのがたくさんあります。そういうのを文章に書きたいと思うことがあります。でも著作権侵害?と思って控えたり、本を書くときに、昔の誰かの書籍にこの表現載っていなかったかな?と夜、不安になり飛び起きて、一文一文チェックしたこともありました。でもチェックといっても大変です。自分が昔読んだ本を探していくのですから。これテレビで聞いた言葉?とか、友達が言っていた言葉?とかです。厳密にいればこれらも真似したらダメです。
私が本の中で使うのは、ほとんどが専門用語で誰が使っても同じになります。でも小説を書く人は神経を使うでしょうね。昔、「良い著者は読書家」と聞いたことがあります。つまりよい文章を書ける人は、本をたくさん読む人でもあるのです。本を読めば表現が頭に残る、頭に残っているからこそ、文章が書けるのです。どこまでが許されて、どこまでが許されないか、という基準はないけれど、著作権法を厳格に適用していたら、何もできない世の中になってしまいそうです。
著作権のことでなにか言われるのが怖くて、ブログは絶対やらない、本は絶対書かない、という人がいます。でもそれでは産業活動は停滞します。
たとえば「良い著者は読書家」と私もこのブログで書きましたが、これは以前どこかに書いてあった文章です。しかし実はこの通り書いてあったのではなく、私なりに言い換えています。この通りの表現ではなかったのです。考え方は著作権では保護されません。自分なりに咀嚼して言い換えればよいのです。
でも福井弁護士の記事から推測すると、「良い著者は読書家」程度では、きっと自分で言い換えることすらしなくてもよいということになるでしょう。今後、安心して文章が書けそうです。